軍人の入閣
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蔣経国の後任として李登輝が総統に就任した後、1989年に郝柏村は国防部長に就任した。1990年5月上旬、行政院長李煥が辞任すると、後任の行政院長候補が誰になるのかがマスコミの関心を集めていたが、5月2日に李登輝が郝柏村を行政院長に指名するという予想外のニュースが国民党内から飛び出したことで、たちまち外部から反発が起こった。また彼の軍事的地位の高さから、一部のメディアでは彼の軍事的地位を批判する声があがった。 例えば首都早報は5月3日、「軍隊編成内閣反対」と題した一面を大きく掲載した。 自立晩報は1990年5月3日付の社説に「無言」の文字を掲載した。また作家の苦苓(王裕仁)は自立晩報のコラムで「国が滅びるなら鬼が出るに決まっている」「四十九日間、書くのを辞める」と発表した。1990年5月19日、学生運動と軍事介入に反対する全国連合は、中正紀念堂で「軍事結成に反対する520行動」と「帰還」の抗議行動を開始した。 野党の民進党も、李登輝が招集した国是会議から撤退すると脅した。 一方、国民党は米国の例を参考にして反発し、結局、民進党の強いボイコットにもかかわらず、郝柏村は国民党が多数を占める立法院の投票で当選し、6月1日に就任した。
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