しん‐るい【親類】
読み方:しんるい
1 家族を除く、血族と姻族の総称。その家族から見て、血縁や婚姻で生じた関係によってつながっている人々。親戚(しんせき)。「遠くの—より近くの他人」
[用法] 親類・親戚(しんせき)・親族——「親類(親戚・親族)一同が集まった」など、血縁関係を表す場合は、相通じて用いられる。◇「親類」と「親戚」は日常的には同じように使えるが、「親類」の方がよりくだけた感じがある。また、同類であることやよく似ているという意を示す「トラとネコは親類だ」のような例では、「親戚」よりは「親類」を用いるのが普通。◇「親類(親戚)の家に厄介になる」に「親族」は使いにくい。「親族」は、家族・親戚を一つのグループにまとめて、改まって言う場合に用いる。「親族会議」「御親族のかたから御焼香願います」など。
親類
- 不良少年仲間にて警察署のことをいふ。〔犯罪語〕
- 〔不〕警察署のこと。「親類へ行つて来る」など云ふ。
- 警察。〔不〕
- 不良少年仲間にて警察署のことをいふ。
- 〔隠〕不良少年仲間で警察署の事。
- 不良少年仲間で警察署のことをいふ。
- 警察。〔東京不良青少年〕
- 警察。名古屋。
- 〔不〕警察署のこと。
- 警察。〔主として愚連隊用語〕〔一般犯罪〕
- 警察署。〔一般犯罪〕
- 警察。度々厄介になるから。〔盗〕
- 警察。〔不良青少年〕
分類 不、不良、不良少年、不良少年語、不良青少年、東京不良青少年、犯罪、犯罪語/不良少年仲間、犯罪/愚連隊用語、盗/犯罪
親族
(親類 から転送)
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注釈
出典
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- ^ 谷口知平編『新版 注釈民法〈21〉親族1』有斐閣〈有斐閣コンメンタール〉1989年12月、99頁以下
親類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 00:56 UTC 版)
雉原凛々子(きじはら りりこ) せーじの妹。超巨乳女子高生。極度のブラコンでせーじに巨乳で接し、せーじの巨乳アレルギーの元凶となっている。「ボイン拳」なる巨乳を活用した我流の拳法を使う。 発明じいさん てる夫の祖父。色々と発明品を作るが、てる夫を痛めつける結果となる。心臓が弱い。発明品はいつも失敗作のみ。
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親類
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実妹・美喜は、日本社会党衆議院議員だった横路節雄夫人。節雄の息子である孝弘(元北海道知事・衆議院議長)・民雄(弁護士)は甥にあたる。 文化人類学者の泉靖一は、野呂の母方の祖父の弟、泉麟太郎の孫である。ふたりはまたいとこの関係にある。
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親類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 14:32 UTC 版)
善院清列(ぜんいん せいれつ) 声 - 青野武 身長:143cm 体重:39kg 血液型:O型 直利の父で、零の祖父。田舎に住んでいて(初登場は新潟県となっていたが、のちに「山有県川有市谷有村」在住とされた)、たまに一堂家に来る。アニメ版は比較的まともな性格として描かれているが、原作ではプロレス好きで、零や啄石にプロレス技を仕掛けている。零が状況に応じて二頭身に変化するのに対し、描写は原作の一度だけながら初登場時、道を訪ねようとして唯と千絵の目の前で近づきながら遠近法を無視して徐々に巨大化する場面があったと思えば、直後に二人にど突かれて、「腰が抜けた」と年寄ぶる茶目っ気も見せる。かなりの辛い物好きでかき氷に醤油をかけて食べる。着用のアロハシャツは原作のみ本人の心情が文字となって浮かび上がる。またボウリングも得意。 孫の零や霧のことは祖父として愛しており、基本的に二人には甘い。啄石の過去なども知っているので彼も清列には頭が上がらない。 田舎では妻(名前は不明。声:鈴木れい子)、息子・控栄、孫・秀吾(しゅうご)と共に暮らしている。 善院控栄(ぜんいん ひかえい) 直利の兄で、零の伯父。啄石からは「義兄さん」と呼ばれる。 善院秀吾(ぜんいん しゅうご) 声 - 広中雅志 控栄の息子で、零の従兄弟。愛称は「しゅうちゃん」。零のことは「零君」と呼ぶ。祖父、父共に顔立ちは零に非常に似ている(大きな相違点は丸坊主であることと、顎が丸いこと)。田舎訛りが強いのも特徴。二頭身にならない、自己紹介の際は赤面するなど、性格は比較的まともであるが、原作では自分の住む村の過疎ぶりを逆手に取って零たちをからかったりもする。田舎を誇りに思っているところがあり都会の人間と張り合うこともある。しかし田舎の良いところを見せようとするので皆には好意的に接する。
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親類
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阿久野鉄人(あくの てつひと) 千絵の叔父。どちらの親の類縁か詳細は不明だが、冴が「鉄人兄さん」、鉄人は「才蔵くん」「冴」と呼び合っている。鉄人28号そのものといった風貌であり、両腕を振り上げ吼えるのが癖。おおらかな性格であり、感覚が鈍い。冬休みに息子を宇留家に預ける。引き取りに来た際、一応町で行われた「寒中ガマン大会」に参加するが体そのものが凍ってしまい零に敗れる。 阿久野正太郎(あくの しょうたろう) 鉄人の息子。千絵曰く「わたしににていい子」であるが、根は非常に陰険な性格であり。気に入らないものがあるとその対象に八つ当たりする癖がある。動物園においては奇面組の前でその本性を剥き出しにし、彼らを振り回した。
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親類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 14:33 UTC 版)
河川 惟子(かわ いこ) 声 - 佐々木るん 昭和41年生まれ 身長:155cm 体重:45kg 血液型:A型 「ロケ隊がやってきたの巻(前編)」から登場。唯のいとこで、新人アイドル歌手。以前から女優志望であり、夏公開の映画「わらわれた学園」の撮影のため偶然一応高校を訪れたことで唯と久しぶりの再会をする。 映画に出演することを唯が知らなかったり、唯の学校を知らなかったり、やたらと顔が似ている(苗字も同じ)のに周りが全く気づかないなど矛盾する点が多いが、作者の新沢曰く「奇面組を映画出演させるためだけに強引に作った即席キャラ」とのこと。
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親類
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曾祖父は石川島播磨重工業や東芝の社長を務め、両社の経営再建を果たした元経団連会長の土光敏夫。いとこにFES☆TIVEメンバーの青葉ひなりがいる。青葉とは「いとこちゃんず。」としてYouTubeチャンネルを立ち上げた他、『FLASH』2021年3月1日号では青葉とのグラビア共演を実現している。 家族は両親の他に姉と妹(3歳下)がいる。
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親類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:50 UTC 版)
彦一 元職工。大阪で軽食堂を経営していたが世界恐慌が起こりその煽りを受け閉店。水木の祖父辰司がバタビヤ(現・ジャカルタ)に渡り、印刷会社を興して成功した後、印刷会社の人員募集に応じてバタビヤに渡った。帰国後インドネシア語が話せたので軍属になり、兵隊として再びジャワへ渡る。 定(さだ)やん 水木の著書『ねぼけ人生〈新装版〉』16-17頁によると、 「祖父の方の親類に、定(さだ)やんという奇人がいた。この人は、妖怪の“倉ぼっこ”じゃないが、倉の中で一生を働かずにすごした。働かずにといっても決して暗い一生だったわけではなく、恋愛はする、読書三昧にふける、結婚もする、町会議員には立候補する、といったあんばいで、人一倍楽しい人生を送った」という。
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親類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 01:07 UTC 版)
父の嘉矩(よしのり)は1847年(弘化4年)生まれの旧幕臣で数理に長じ、若くして御勘定奉行所普請方に出仕した(普請役30俵3人扶持)。長崎に留学してオランダ人に建築術を学んだという。明治になって大蔵省に勤め、宮城県庁に転じて一等属を務めた。一等属は、県令(県知事)、大書記官(副知事)に次ぐナンバー・スリーの職であり、後年の出納長に相当する重職であった。嘉矩は視力悪化のため、1878年(明治11年)12月に40歳を過ぎたばかりの壮年で宮城県庁一等属を辞した。退職後は、仙台市坊主町54・53(現在の仙台市青葉区国見二丁目5-38、仙台市立第一中学校の北側にあたる。当時の仙台の市街地からは外れる)に住み、ブドウ園を経営した。広い土地で人を使ってブドウを栽培したが、300円かけて300円の収入がようやく得られるような経営状態だったと伝わる。他の事業の失敗による借財もあり、そのため県庁退職後の井上家の家計は苦しく、後妻に入った井上の生母「もと」が持参金代わりに実家の角田石川家から分与された相当な土地からの年貢米に頼る状態だった。晩年の嘉矩は嗣子の秀二と同居し、1915年(大正4年)11月17日に68歳で没した。1950年(昭和25年)、井上の次兄・井上達三陸軍中将が死去した際、葬儀の参列者に、元海軍士官で若くして予備役に編入された者がいた。親戚の一人が「あの人はいい人なのに海軍を早く退いて…」と言ったのに対し、井上は「(海軍を早く)辞めさせられたのには、それだけの理由があったのだ」と言い放った。 井上が数学に長じていたことは知られるが、父の嘉矩がそうであったように、井上の親族には数学に長じた者が多い。井上の長兄の秀二は著名な土木技術者となり、次兄の達三は陸軍砲兵将校(士官候補生のうち数学を得意とする者が砲兵科・工兵科を志望した)として中将に昇っている。 井上の後妻となった富士子は、井上の入院中に「面会謝絶」の医師の指示を頑強に守り通そうとして、遠方から駆けつけた親戚の阿部信行、山梨勝之進大将などの大事な見舞客を追い返したり、井上との結婚後に、井上の亡妻の喜久子の親戚筋である阿部家、稲田正純陸軍中将の家、大石堅志郎海軍大佐の家らに、「今後、井上宅への来訪は見合わせて頂きたい」という「縁切り状」を井上の名で送ったり、井上の親戚、旧部下、英語塾の教え子などの「井上と縁のある女性」が井上宅を訪れた時に井上に無断で門前払いしたり、彼女たちから井上に届いた手紙を、井上に見せずに捨ててしまうなど、批判されても仕方ない所があった。井上の親族の中でも、戦後の井上と最も親しかった伊藤由里子は「あの方、要するに海軍大将夫人におなりになりたかったんじゃないの」と、富士子へのきつい批判を洩らした。 秀二の次男で、井上本家を継いだ井上秀郎(ひでお。1980年(昭和55年)死去。大学教授)は数学教師で、戦前は成蹊高等学校に勤務していた。秀郎は井上と一卵性双生児のように容姿が似ており、秀郎の妻の達子によると、容姿に加え性格も井上と良く似ていた。秀二の長男井上嘉瑞(1902年〜1956年)は、日本郵船の社員として5年間ロンドンに駐在中、欧文書体の活字を収集し、タイポグラフィを学ぶ。在英中『印刷雑誌』1937年(昭和12年)1月号に「田舎臭い日本の欧文印刷」を発表し、日本の欧文印刷のレベルの低さを指摘した。帰国後、独自の印刷工房である嘉瑞工房を創業し、その著作を数多く出版した。同工房は唯一の弟子である高岡重蔵が継ぎ、今日まで存続している。 井上は1968年(昭和43年)に海兵クラス会の会報に寄稿し、中学3年の時に父に呼ばれて「家計が苦しいので、兄(秀二と他1名)のように高等学校にやる訳にはいかない」と言われたこと、海軍兵学校を志望した一番の理由は「海兵に進んだ先輩が帰郷した時の短剣姿に憧れたから」だと記している。 嘉矩は前妻と三男一女を儲けたが、いずれも明治中頃までに夭折した。後妻に入った井上の生母「もと」は、仙台藩主伊達家の一門首席の名家で、角田で2万1千石を領する角田石川家第37代当主石川義光の第10女。1875年(明治8年)に19歳で、前妻を亡くしたばかりの井上嘉矩に嫁して九男を産み、1901年(明治34年)12月16日に46歳で没した。女子ながら漢籍に通じており、かつ琴の名手であった。「もと」の音楽の素養は、井上とその兄弟に受け継がれた。井上が琴・ピアノをはじめとする多数の楽器を奏きこなし、音楽好きとして海軍部内で有名だったのは知られるが、仙台に住んでいる時から井上兄弟は合奏や歌を楽しみ、ヴァイオリンやピアノを自作して奏いていたという。 井上は13人兄弟(十二男一女)の十一男であり、異母兄姉がみな夭折したため事実上の長男は四男の秀二であった。兵学校の採用試験で、試験官に家庭状況を問われて「十一男です」と答え、「ふざけた返事をするな」と叱られたという。井上の実兄弟は、すぐ上の兄である美暢が1952年(昭和27年)1月2日に病没したのを最後に、井上の生前に全て死去していた。 祖父:石川義光 角田石川家第37代当主。 伯父:田村邦栄 陸奥一関藩主。 伯父:田村崇顕 陸奥一関藩主。 従兄:田村丕顕 海軍少将。 実兄:井上秀二 土木技術者。 実兄:井上達三 陸軍中将。夫人は荒城卓爾(陸軍少将)・荒城二郎(海軍中将)の妹。 実兄:井上美暢(よしのぶ) 陸軍大佐、士候20期。中尉時代に非行に走る聯隊長に制裁を加えたため陸大を受験できなかった。万年大佐に終わるも、豪放磊落で酒好きだった美暢とは、成美は反りが合わず、仲違いをしていたエピソードが伝わる。 娘婿:丸田吉人(よしんど) 海軍軍医中佐、北海道帝国大学医学部在学中に海軍軍医学生となった現役軍医科士官。重巡「鳥海」軍医長としてレイテ沖海戦で戦死。父は丸田幸治 海軍軍医少将。 相婿:阿部信行 陸軍大将、内閣総理大臣。井上の妻・喜久代の長姉を娶る。喜久代の父は、陸軍二等主計正(後年の陸軍主計中佐)の原知信(とものぶ)。原は、陸軍を早く退き、金沢市で陶磁器会社の重役をしていた。 相婿:関寿雄 陸軍大佐、士候13期。喜久代の次姉を娶る。 相婿:大石堅四郎 海軍大佐、兵42期。喜久代の妹を娶る。 親類:稲田正純 陸軍中将。阿部信行の娘である和子を娶る。和子は、少女時代に井上成美にたいへん可愛がられた。琴に長じる井上は、阿部信行の家で、かつて稲田のために「六段の調」を弾いてくれた。稲田は大佐で参謀本部作戦課長を務めていた時、三国同盟締結に関して海軍省軍務局長であった井上に直談判を試みたが、相手にされなかった。
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親類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:46 UTC 版)
政治家・平沼亮三は曽祖父にあたる。 実業家・平沼五郎は祖父にあたる。 実業家・長沼弘毅は祖父にあたる。 俳優・草光純太は従兄弟にあたる。
※この「親類」の解説は、「平沼成基」の解説の一部です。
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親類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 04:02 UTC 版)
妻:ミツ 原知信(陸士旧2期、陸軍二等主計正 中佐相当官)の娘。 二男:阿部信弘 陸士56期、陸軍少佐(特攻戦死。陸軍中尉から二階級特進)。 娘婿:稲田正純 陸軍中将。阿部の娘・和子を娶る。 相婿:井上成美 海軍大将。阿部の妻・ミツの妹を娶る。
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親類
「親類」の例文・使い方・用例・文例
- 彼女はスミス家と親類関係にある
- 親類関係ができる,縁続きになる
- 彼女は私と近い親類です
- 家族と親類
- 近い親類による養子
- 私の結婚式ではたくさんの親類が集まるだろう。
- 私の結婚式ではたくさんの親類が来るだろう。
- 私の結婚式はたくさんの親類が集まるだろう。
- 彼には、お土産を買ってきたい友人、知人、親類、先生がたくさんいます。
- 彼らは互いに親類関係にある。
- 彼は働かないで親類にたかることばかり考えている。
- 彼は全ての親類と絶交した。
- 彼は親類の者と意見が合わない。
- 彼は私の生きているただ一人の親類だ。
- 彼は私の遠い親類です。
- 親類も足が遠のきはじめた。
- その一家の財産は親類の間で分けられた。
- 私たちは彼女を親類の所に住まわせた.
- 私たちは大統領とは親類です.
- 彼は私の親類である[ではない].
親類と同じ種類の言葉
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