岡内重俊
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岡内 重俊(おかうち しげとし、1842年5月11日(天保13年4月2日[1])- 1915年(大正4年)9月20日[1][注 1])は、幕末の土佐藩士、明治期の司法官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、男爵、錦鶏間祗候。通称・俊太郎[1]。
注釈
- ^ 『大正過去帳 物故人名辞典』73頁・『海を越えた日本人名事典』新訂増補184頁では「9月19日」。
出典
- ^ a b c d e f g h 『明治時代史大辞典 第一巻』378頁。
- ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』上巻、335頁。
- ^ a b 『幕末維新大人名事典 上巻』290頁。
- ^ a b c d 『海を越えた日本人名事典』新訂増補、184頁。
- ^ a b c d e f 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』145-150頁。
- ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』107-108頁。
- ^ a b 『官報』号外、明治33年5月9日。
- ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
- ^ 『官報』第1911号「叙任及辞令」1889年11月9日。
- ^ 『官報』第207号「叙任及辞令」1913年4月11日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』第2100号「叙任及辞令」1890年7月1日。
- ^ a b 『大正過去帳 物故人名辞典』73頁。
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