勧修寺経雄
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      勧修寺 経雄
       
       かじゅうじ つねお
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| 生年月日 | 1882年(明治15年)4月13日 | 
| 出生地 |   | 
    
| 没年月日 | 1936年11月1日(54歳没) | 
| 死没地 |   | 
    
| 出身校 | 東京高等農学校 | 
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| 在任期間 | 1919年6月14日 - 1925年7月9日 | 
勧修寺 経雄(かじゅうじ つねお、1882年(明治15年)4月13日[1] - 1936年(昭和11年)11月1日[1][2])は、明治末から昭和前期の教育者、政治家、華族。貴族院伯爵議員。
経歴
東京府出身。伯爵・勧修寺顕允の長男として生まれる[1][3]。父・顕允の死去に伴い、1900年(明治33年)10月4日、家督を相続し伯爵を(しゅうしゃく)した[1][4]。
1908年(明治41年)東京高等農学校を卒業[1]。1910年(明治43年)以降、殿掌、掌典、陵墓監、同志社女子専門学校講師、京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)講師などを務めた[3][2]。
1919年(大正8年)6月14日、補欠選挙で貴族院伯爵議員に選出され[5]、研究会に属して1925年(大正14年)7月9日まで在任した[2]。
親族
脚注
- ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』上巻, pp. 414–415.
 - ^ a b c 『議会制度百年史:貴族院・参議院議員名鑑』, p. 25.
 - ^ a b 『人事興信録』第10版上, p. カ198.
 - ^ 『官報』第5180号、1900年(明治33年)10月5日。
 - ^ 『貴族院要覧(丙)』, p. 28.
 
参考文献
- 『人事興信録』第10版上、人事興信所編、人事興信所、1934年。
 - 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
 - 『議会制度百年史:貴族院・参議院議員名鑑』衆議院・参議院編、大蔵省印刷局、1990年。
 - 『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館編、吉川弘文館、1996年。
 
| 日本の爵位 | ||
|---|---|---|
| 先代 勧修寺顕允  |  
     伯爵 勧修寺家第2代 1900年 - 1936年  |  
     次代 勧修寺信忍  | 
    
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