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清岡長言


清岡長言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/30 21:20 UTC 版)

清岡長言
大正天皇即位大礼の典儀官時の清岡長言(1915年)

清岡 長言(きよおか ながこと、1875年明治8年〉2月3日[1] - 1963年昭和38年〉1月13日[1][2])は、明治後期から昭和期の教育者政治家華族貴族院子爵議員

経歴

東京府出身。子爵・清岡長延の息子として生まれる[1][3]。父・長延の死去に伴い、1905年(明治38年)2月21日、家督を相続し子爵を襲爵した[1][4]

1907年(明治40年)以降、殿掌、掌典歌御会始講頌御人数、同講頌、大礼使典儀官、宮内省衣紋講習会講師、菊花高等女学校長、菊花技芸女学校長、聖訓奉旨会長などを務めた[2][3]

1915年(大正4年)1月13日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[5]研究会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]1950年(昭和25年)10月19日には、京都在住旧堂上華族総代として昭和天皇に拝謁した[6]

栄典

家族

基本、『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 525を参照している。

脚注

  1. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 525.
  2. ^ a b c 『議会制度百年史:貴族院・参議院議員名鑑』, p. 41.
  3. ^ a b 『人事興信録』第14版上, p. キ87.
  4. ^ 『官報』第6491号、明治38年2月22日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』, p. 23.
  6. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十一』東京書籍、2017年3月30日、141頁。ISBN 978-4-487-74411-4 
  7. ^ 『官報』第567号「叙任及辞令」1914年6月22日。
  8. ^ 『現代華族譜要』, p. 706.
  9. ^ 『現代華族譜要』, pp. 236–237.

参考文献

  • 『現代華族譜要』維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929年。 
  • 『人事興信録』第14版上、人事興信所編、人事興信所、1943年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。 
  • 『議会制度百年史:貴族院・参議院議員名鑑』衆議院参議院編、大蔵省印刷局、1990年。 
  • 『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館編、吉川弘文館、1996年。 
日本の爵位
先代
清岡長延
子爵
清岡家第3代
1905年 - 1947年
次代
華族制度廃止


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