清峯門継とは? わかりやすく解説

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清峯門継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/02/07 15:04 UTC 版)

清峯 門継(きよみね の かどつぐ、延暦元年(782年) - 斉衡2年閏4月7日(855年5月26日))は、平安時代前期の貴族氏姓は竹田臣のち清峯宿禰、清峯朝臣官位従四位下縫殿頭

目次

出自

清峯氏(清岑氏)は、阿倍氏の一族である竹田氏(竹田臣)の後裔氏族。

経歴

左京の人。弘仁4年(813年)一族5人とともに、竹田臣から清岑宿禰に改姓する(この時の位階従八位下[1]嵯峨天皇に重用されて、左衛門少尉に抜擢される。弘仁12年(821年従五位下上野介に叙任され、翌弘仁13年(822年右馬助に転じた。淳和朝では昇進の機会がなかったが、天長10年(833年仁明天皇即位に伴い従五位下に叙せられる。仁明朝では、駿河介長門守典薬頭備後守縫殿頭を歴任した後、承和13年(846年正五位下、承和15年(848年従四位下と昇進した。またこの間、承和3年(836年)に宿禰から朝臣に改姓している[2]

のち、難波隠居するが、斉衡2年(855年)閏4月7日病により卒去享年74。最終官位散位従四位下。[3]

人物

世俗の事柄に熟練して深く通じていたが、他に才学はなかったという[3]

脚注

  1. ^ 『日本後紀』弘仁4年正月16日条
  2. ^ 『続日本後紀』承和3年閏5月24日条
  3. ^ a b 『日本文徳天皇実録』斉衡2年閏4月7日条

参考文献




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