こうずけ‐の‐くに〔かうづけ‐〕【上野国】
読み方:こうずけのくに
⇒上野
上野国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 09:03 UTC 版)
上野国(こうずけのくに[1]、かみつけぬのくに、かみつけののくに、かみつけのくに)は、かつて日本の令制国の一つ。東山道に属する。おおむね現在の群馬県にあたる。別名は、上州(じょうしゅう)、上毛野(かみつけの・かみつけぬ)、上毛(じょうもう・かみつけ)など。
注釈
出典
- ^ 「上野国」『国史大辞典』吉川弘文館。
- ^ a b 『世界大百科事典』(平凡社)毛野(けぬ)項。
- ^ 『国造本記』(『先代旧事本紀』第10巻)下毛野国造条。
- ^ レファレンス協同データベース - 栃木県立図書館回答。
- ^ 『日本の地名 群馬県の地名』(平凡社)上野国節。
- ^ 『和名抄』。
- ^ 『万葉集』。
- ^ 『古事記伝』
- ^ 日本古典文学大系本『萬葉集 一』(岩波書店、昭和32年)。
- ^ 万葉集検索システム(山口大学教育学部)、佐佐木信綱『新訓萬葉集』(岩波文庫)参照。
- ^ 『大辞林』(第三版)毛野項。
- ^ 熊倉浩靖 『古代東国の王者 上毛野氏の研究 2008年改訂増補版』(雄山閣)p.5。
- ^ 日本大百科全書、ニッポニカ・プラス(小学館)
- ^ 大辞泉(JapanKnowledge)
- ^ 『国史大辞典』(吉川弘文館)上野国項。
- ^ a b c d 日本書紀
- ^ 続日本紀
- ^ 倭名類聚抄
- ^ 日本後紀
- ^ 類聚三代格
- ^ a b c 金沢清則. “上野国府とその付近の東山道、および群馬、佐位駅家について”. 2022年10月23日閲覧。
- ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 276-283。
- ^ 吉井藩領の「旧高旧領取調帳」の記載は岩鼻県。本項では「角川日本地名大辞典」の記述による。
上野国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:36 UTC 版)
荒芽山(あらめやま) 『八犬伝』に登場する架空の山。上野国に位置する。音音の庵があり、五犬士の会同と離散の舞台となった。 地理的描写から荒船山に比定される。
※この「上野国」の解説は、「南総里見八犬伝」の解説の一部です。
「上野国」を含む「南総里見八犬伝」の記事については、「南総里見八犬伝」の概要を参照ください。
上野国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 02:19 UTC 版)
厩橋城 - 読みは「まやばしじょう」が一般的。謙信の関東出陣の拠点。城将は長野氏・毛利(北条)氏など。
※この「上野国」の解説は、「春日山城」の解説の一部です。
「上野国」を含む「春日山城」の記事については、「春日山城」の概要を参照ください。
上野国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 22:45 UTC 版)
上野国の北条支配下の諸侯も、小田原に籠城することを義務付けられていたため、籠城中に北方軍に城を攻略され本領を失う例が多かった。由良国繁と長尾顕長の兄弟も小田原に籠城しており、国繁の留守の桐生城は母親の妙印尼が守備していた。この齢70を越えた妙印尼が主導し国繁嫡男の貞繁を立てて兵2千を集め、前田利家を通じて桐生城を開城し、松井田城攻めに加わった。これが評価され、戦後に由良国繁と長尾顕長は助命された。さらに妙印尼に対して常陸国牛久城5400石が与えられ、これを国繁が相続した。国替えとはなったが、由良氏は存続に成功した。今村城の那波顕宗は上杉景勝を介して投降し、所領は失ったが助命され上杉氏の家臣となっている。大和晴清の那波城も開城している。晴清はのちに旗本となった。
※この「上野国」の解説は、「小田原征伐」の解説の一部です。
「上野国」を含む「小田原征伐」の記事については、「小田原征伐」の概要を参照ください。
上野国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:39 UTC 版)
八綱田命の子である夏花命に始まる物部君の後裔で上毛野氏同族。君姓の磯部氏は新治郡の鴨大神御子神主玉神社の社家や頸城郡の水嶋礒部神社の社家・綿貫氏となる[要出典]。
※この「上野国」の解説は、「磯部氏」の解説の一部です。
「上野国」を含む「磯部氏」の記事については、「磯部氏」の概要を参照ください。
上野国
- 上野国のページへのリンク