葛原親王とは? わかりやすく解説

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かつらばら‐しんのう〔‐シンワウ〕【葛原親王】

読み方:かつらばらしんのう

786853桓武天皇第3皇子。名は「かずらはら」とも。桓武平氏の祖。大蔵卿式部卿などを経て大宰帥(だざいのそち)。天長2年825)、平(たいら)の姓を賜り臣籍下った


葛原親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 09:55 UTC 版)

葛原親王
葛原親王 『前賢故実』より
時代 奈良時代末期 - 平安時代初期
生誕 延暦5年11月7日786年12月1日
薨去 仁寿3年6月4日853年7月13日
墓所 京都府乙訓郡大山崎町伝承
官位 一品太宰帥
父母 父:桓武天皇、母:多治比真宗
兄弟 平城天皇朝原内親王長岡岡成伊予親王良岑安世嵯峨天皇淳和天皇葛原親王大宅内親王高津内親王万多親王高志内親王明日香親王仲野親王佐味親王坂本親王賀陽親王布勢内親王葛井親王安勅内親王賀楽内親王菅原内親王甘南美内親王伊都内親王
照玉姫?(神奈川県横浜の民間伝説)
高棟王善棟王高見王もしくは高望王
特記
事項
桓武平氏の祖
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葛原親王(かずらわらしんのう)は、桓武天皇皇子官位一品大宰帥桓武平氏の祖。

経歴

延暦17年(798年)異母兄弟の大伴皇子(後の淳和天皇)と共に元服。延暦22年(803年四品治部卿に叙任される。

延暦25年(806年平城天皇即位後まもなく大蔵卿に任ぜられ、弾正尹を経て、大同4年(809年)三品に任ぜられる。弘仁元年(810年薬子の変に前後して式部卿に遷ると嵯峨朝ではこれを10年以上務め、弘仁3年(812年大宰帥を兼ね、弘仁7年(816年)には二品に叙せられている。

弘仁14年(823年淳和天皇の即位後に弾正尹に遷り、天長2年(825年)には息子を臣籍降下させ平朝臣姓を称することを上奏して許されている。天長7年(830年)式部卿に復し、翌天長8年(831年)には託基皇女以来80年ぶりに一品に叙せられている。こののちも、約20年の長きにわたって式部卿を務め、この間の承和2年(835年)に甲斐国巨麻郡(現在の山梨県南アルプス市)の牧であった「馬相野空閑地五百町」を与えられている。嘉祥3年(850年文徳天皇の即位後に、再度大宰帥に任じられている。

仁寿3年(853年)6月4日薨去享年68。最終官位は一品大宰帥。遺言により葬儀は質素なものとしたという。伝承の墓所と邸宅跡地が京都府乙訓郡大山崎町にある。

親王として諸官を歴任したが、特に式部卿については、弘仁元年(810年)に任官ののち、途中弘仁14年(823年)から天長7年(830年)の期間を除いて、嘉祥3年(850年)に大宰帥に転任するまでの33年間にわたってその職にあり、『六国史』の薨伝において「久在式部 諳職務 凡在旧典 莫不達練 挙朝重之」[1]と親王自身が政務に熟達し、朝廷で重んじられていたことが記されている。

人物

幼少から俊秀として知られていた。史伝を精読しており、歴史上の成功あるいは失敗例をもって自らの戒めとしたという。恭しく慎み深い性格で、傲り高ぶるようなことがなかった[1]

官歴

六国史』による。

系譜

脚注

  1. ^ a b 日本文徳天皇実録』仁寿3年6月4日条
  2. ^ 本郷郷土史研究会(1982年)
  3. ^ 栄区地域振興課(2015年)46ページ

参考文献

  • 本郷郷土史研究会『本郷の民話と伝説』横浜市 1982年(昭和57年)3月
  • 安田政彦『平安時代皇親の研究』(吉川弘文館1998年ISBN 978-4-642-02330-6
  • 森田悌『日本後紀 (上)』講談社講談社学術文庫〉、2006年
  • 森田悌『日本後紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、2006年
  • 森田悌『日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2007年
  • 森田悌『続日本後紀』(上下巻)、講談社〈講談社学術文庫〉、2010年
  • 栄区地域振興課『栄区郷土史ハンドブック(第5刷)』横浜市 2015年(平成27年)3月、46ページ


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