実在について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 06:26 UTC 版)
高見王はその後の桓武平氏に直結する流れであるが、その実在が疑われている。文献によると父の葛原親王は高見王が誕生する前に子孫に平姓を賜り、臣籍への降下を朝廷に要請し、これが認められている。しかし高見王は平高見を名乗ったと言う記録はない。これ以外にも文献上の矛盾が多く、また病弱であったとも伝えられているが、皇族の身分でありながら、曲がりなりにも成年まで生き延びた人物が無位無官であったことは大きな疑問点である。逆に病弱であった人物が子孫を残しえたかと言う疑問も残る。従って現在では高見王を実在しなかった人物とし、子とされる平高望は父とされる葛原親王の子であったとする説を主張する歴史研究家は少なくない。
※この「実在について」の解説は、「高見王」の解説の一部です。
「実在について」を含む「高見王」の記事については、「高見王」の概要を参照ください。
実在について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 07:38 UTC 版)
「IT-130 (自走砲)」の記事における「実在について」の解説
IT-130についての情報源の一つとして、1978年にイギリスに亡命したソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の情報将校、ウラジーミル・ボグダーノヴィチ・レズン(亡命後のペンネームとしては“ヴィクトル・スヴォーロフ”の名を用い、この名で著名)によるものがある。レズンは当時としては機密の壁に阻まれて謎の多かったソビエトの軍事情報について西側に数多くの情報を提供したが、彼の提供した情報の中に、ソビエト軍に配備されているという装軌式対戦車自走砲(駆逐戦車)の情報があり、レズンはこれら車両について以下のように説明したとされる。 "Любой мотострелковый полк (в СССР, но не за границей) имеет одну батарею тяжёлых штурмовых орудий. В 1950-х годах мощное орудие Д-74 (122-мм) смонтировали на шасси танка Т-54, затем пушку М-46 (130-мм) установили на шасси танка Т-62. Все полки без исключения имеют тяжёлые штурмовые орудия таких образцов. Они хранятся десятилетиями и никогда не видят света дня. Их расчёты тренируются на танках Т-54 и Т-62. Иногда им показывают прицел штурмового орудия. Они знают тактику его применения и знают, как обслуживать двигатель. Если начнётся война, их командиры сообщат, что вместо танков они получат похожее, но более мощное и бронированное оружие" 「ソビエト軍の機械化歩兵連隊にはみな一個連隊につき一つの重突撃砲中隊が編制されている(ただし、ソビエト国内に駐屯する部隊のみに限られる)。1950年代には、強力なD-74(122mm)砲がT-54戦車の車体に搭載され、その後、M-46(130mm)砲がT-62戦車の車体に搭載された。全ての機械化歩兵連隊付き重突撃砲中隊には例外なくこの重突撃砲が配備されている(以下後段略)」。 実際にはこれらは前者がSU-122-54 自走砲、後者がIT-1(ИТ-1)ロケット駆逐戦車のことであったと推定されるが、レズンによって伝えられた情報は彼の誤解及び推定を混じえたものであったため、実際の両車両のものとは、特に「T-62戦車の駆逐戦車型」については全く異なっていたとみられる。また、SU-122-54 / IT-1とも、実際には配備された部隊は少数に限られており、「ソビエト本国駐留の機械化歩兵連隊にはみな一個重突撃砲中隊が編制されている」「全ての機械化歩兵連隊付き重突撃砲中隊に例外なく配備されている」ということもなかった。
※この「実在について」の解説は、「IT-130 (自走砲)」の解説の一部です。
「実在について」を含む「IT-130 (自走砲)」の記事については、「IT-130 (自走砲)」の概要を参照ください。
- 実在についてのページへのリンク