ソビエトとは? わかりやすく解説

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ソビエト【(ロシア)Sovet】

読み方:そびえと

【一】評議会会議の意》ソ連政治的基礎であった組織選挙され代議員によって構成される代表会議で、1905年ペテルブルク労働者組織したのに始まる。1917年二月革命後は労働者兵士代表ソビエトとして革命指導的機関となり、ソ連成立とともに農民代表ソビエトを加え、正式の権力機関となったや市から州・地方・各共和国の各段階設けられ頂点に全連邦最高会議があった。

【二】ソビエト社会主義共和国連邦」の略。

[補説] 「蘇維埃」とも書く。


ソビエト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 17:17 UTC 版)

ソビエトロシア語: Совет [sɐˈvʲet] ( 音声ファイル)、発音は「サヴィェート」)は、ロシア革命時のロシア帝国において、社会主義者の働きかけもありながら、主として自然発生的に形成された労働者農民兵士評議会(理事会)。もしくはそれらの(建前ないし名目上の)後継組織であるソビエト連邦議会ラテン文字表記や英語では「Soviet」が一般的である。日本語カタカナ表記としては「ソビエト」や「ソヴィエト」が比較的よく用いられるが、古い資料などでは「ソヴェト」「ソヴェート」という表記もある。


  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. “ソビエト”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年12月19日閲覧。
  2. ^ 下斗米伸夫『図説 ソ連の歴史』河出書房新社、2011年, pp10-11.
  3. ^ 『第二期トロツキー選集 第2巻 1905年』、現代思潮社、1969年、112ページ
  4. ^ 広瀬健夫「1905年革命におけるソヴェトの形成」、江口朴郎編『ロシア革命の研究』、中央公論社、1968年、171ページ
  5. ^ 「われわれの任務と労働者代表ソヴェト」、『レーニン全集』第10巻、大月書店、1955年、5ページ
  6. ^ 『レーニン全集』第24巻、大月書店、1957年、5ページ
  7. ^ 『レーニン全集』第24巻、大月書店、1957年、22ページ
  8. ^ 稲子恒夫『ソビエト国家組織の歴史』、日本評論社、1964年、16ページ


「ソビエト」の続きの解説一覧

ソビエト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 02:21 UTC 版)

レッド・オクトーバーを追え」の記事における「ソビエト」の解説

マルコ・アレクサンドロヴィッチ・ラミウス海軍大佐 ソビエト海軍最新鋭弾道ミサイル潜水艦「レッド・オクトーバー」を指揮する艦長。彼は、個人的な要因によって亡命決意拍車を掛けられた。彼の妻、ナターリャは、酒に酔った無能な医者の手亡くなったが、その医者政治局員息子であったため罰を免れた。ナターリャの早すぎる死は、ソビエト統治冷淡さ対するラミウスの長年に渡る幻想崩壊と、レッド・オクトーバーが世界情勢不安定化させる恐れ相まって、ソビエトの支配体制欠陥対す彼の忍耐使い果たしてしまう。 ヴィクトル・アレクセイエビィッチ・ツポレフ中佐 アルファ級攻撃型潜水艦V.K.コノヴァロフの指揮官でありラミウスの元生徒。 ワシーリー・ボロジン中佐 レッド・オクトーバーの副長 エフゲニー・コンスタンチノヴィッチ・ペトロフ医師 レッド・オクトーバーの軍医 イーゴリ・ロギノフ GRU諜報員、艦の亡命または鹵獲を防ぐために料理人としてレッド・オクトーバーに乗艦 アレクセイ・アルバトフ ソビエト駐米大使 イワン・ユリエヴィッチ・プーチン中佐 レッド・オクトーバーに乗艦している政治士官(ザムポリト)。彼がラミウスの亡命妨害しないようにラミウスによって殺される。 ユーリ・イリイッチ・パドーリン提督 ソビエト海軍政治部長、ラミウスの義理叔父であり庇護者

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ソビエト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 19:48 UTC 版)

第二次世界大戦の影響」の記事における「ソビエト」の解説

ヨーロッパ地域 ドイツポーランドチェコスロバキアからそれぞれ領土獲得し西方大きく領土拡大した旧東プロシアのケーニスベルクとその周辺は、カリーニングラード改称し併合した開戦前併合したエストニアラトビアリトアニアバルト三国への支配ルーマニアから獲得したベッサラビア現在のモルドバ)の領有復活させた。 上記の新領土内のロシア人住民追放してロシア人などを入植させる国内移住政策進められた。 進駐したソ連軍軍事的な恫喝により、東ドイツポーランドチェコスロバキアルーマニアブルガリアハンガリーなどに親ソ共産政権樹立し衛星国とし影響下においた(東側諸国)。 バルト三国 ロシア革命後独立果たしたエストニアラトビアリトアニアバルト三国独ソ不可侵条約に基づきソ連軍一方的に進駐し、その圧力の下で、1940年ソビエト連邦強制的に併合された。その後ドイツ軍占領下に入るなどしたものの、大戦終了後に再びソビエト連邦併合され追放処刑され三国住民代わりに多くロシア人流入し居住することになる。 エストニアラトビア国境変更されソ連の一共和国になった再度独立冷戦後1991年まで待たねばならず、ロシア系住民処遇問題エストニアラトビアロシア国境問題抱えることになった詳細は「バルト諸国占領」を参照 極東地域 日本領の南樺太サハリン南部)を占領し、さらに日本降伏後1945年8月18日から千島列島侵攻し色丹島歯舞群島9月5日までに占領した1946年2月2日に、これら南樺太および千島列島領有宣言する。なお、これに対して日本公的に認めておらず、択捉島国後島色丹島歯舞群島北方領土については日本領有主張し南樺太得撫島ウルップ島以北については帰属未確定としている(詳細北方領土問題参照)。 日本が旧満洲持っていた各種権益のうち、関東州旅順大連の両港租借権旧東鉄道南満州鉄道一部)の管理権継承中華民国認めさせた。これは中華人民共和国成立後1955年まで続いた

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ソビエト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)

ノモンハン事件」の記事における「ソビエト」の解説

ノモンハン事件日本対す警戒心をより深める結果となったノモンハン事件後シベリアザバイカルソ連軍順次増強されて、1941年7月1日時点でのソ連軍極東戦線ザバイカル軍管区兵力は、狙撃兵師団23個、騎兵師団1個、戦車師団5個、自動車化狙撃兵師団3個、航空師団13個、狙撃兵旅団3個、空挺旅団1個、装甲車旅団1個、航空旅団2個、防空旅団1個、オートバイ連隊1個、砲兵連隊22個、航空連隊8個、工兵連隊3個、舟橋架設連隊8個で総兵力723,119名、戦車4,638輌、砲14,062門、自動車60,091台、トラクター11,968台、航空機4,777機という莫大な戦力だった。これらの大部隊は、ドイツ軍ソ連領内突如侵攻し全面戦争となってからも終戦まで動かされることはなかった。独ソ開戦機運が高まるとジューコフ求めスターリンやむなくウラル軍管区ザバイカル軍管区から戦車8個旅団と、狙撃兵15師団騎兵3個師団転用許可しスモレンスク防衛戦モスクワ防衛戦参加している。開戦前1941年4月26日から5月10日の間に極東シベリアザバイカル各軍管区から抽出され兵力欧州へ移動完了したジューコフ極東内陸部から移送され狙撃師団群のほとんどを、反撃攻勢用の“トラの子”の精鋭部隊として温存しており、モスクワ防衛戦参加した師団少なく参加しても第44モンゴル騎兵師団のように騎兵突撃行って短期間壊滅した部隊もあった。また、ノモンハン戦った36自動車化狙撃師団、第57狙撃師団のようにモスクワ移動せずそのまま1945年までモンゴル駐留する第17軍属して極東留まり1945年8月満州侵攻参加した部隊もあって、モスクワ防衛戦決定的な働きをしたのは極東からの援軍ではなくスターリン投じたモスクワ戦区戦略予備軍第1打撃軍第20軍)だった。 ジューコフモスクワへ攻撃ドイツ軍疲弊しているが、陣地構築して防衛態勢とらない判断すると、今までモスクワ防衛戦戦闘熟練した部隊と共に、“トラの子”の40万人将兵、1,000輌の戦車1000機の航空機反撃投入しドイツ軍中央軍集団大打撃与えてモスクワへ脅威取り除くことに成功した極東から来た部隊活躍目覚ましくジューコフは後に「モンゴル戦った部隊が、1941年モスクワ地区移動しドイツ軍戦いいかなる言葉をもってしても称賛しきれぬほど奮戦したことは、決して偶然ではなかったのである」と回想している。一方でモスクワ攻勢参加した極東部隊は全軍の5%に過ぎず勝敗左右する要因にはならなかったとも証言している[要出典]。 ジューコフは、「日本軍精鋭部隊前代未聞敗北」をもたらせ8月攻勢作戦が「日本支配階級酔いから醒めさせたもの」と確信していたが、極東総軍作戦部A・K・カザコフチェフ少将が「もし日本ヒトラー側について参戦したならば、われわれとしてはどうにもならなくなる」と述べてたようにソ連国土深く侵入してきたドイツ軍呼応し日本軍北方シベリア侵攻してくる懸念ソ連側払拭することができなかった。そのため、東部戦線赤軍反撃転じてさらに戦闘激化した後も、極東部隊日ソ中立条約成立しているにも関わらず弱体化するどころか逆に強化され、総兵力は1,568,000名にも達した。これは赤軍総員の3割弱に当たり、これらの戦力前線投入できていたら、ドイツ軍をもっと速やかに打ち負かし戦争の終結早めることができたという主張もある。 ソ連独ソ戦に力を注いだ結果紛争の発生件数1940年151件から、1941年には98件に減り1942年には58件まで減った満州国境の安定は、独ソ戦峠を越し太平洋戦争日本戦況悪化した1943年秋頃まで続いたその後、再び紛争増加し始め1944年後半には五家事件虎頭事件光風事件、モンゴシリ事件など小規模な国境紛争起きた関東軍兵力多く南方日本本土防衛転用してしまっていた日本軍側は、ソ連刺激しないよう紛争回避する方針を採っていたままだった。一方でドイツ敗北濃厚になると、ソ連極東目を向け始め1943年11月テヘラン会談ドイツ降伏後ソ連対日参戦表明1945年2月ヤルタ会談では、関東軍過大評価して満州中国大陸日本軍撃破し日本屈服させるためにはソ連の対日参戦が是非とも必要と考えていたフランクリン・ルーズベルトアメリカ合衆国大統領対しスターリンいわゆるヤルタの密約」で極東地域での権益拡大約束させて対日参戦了承している。了承する際にスターリンは、ルーズベルト同席していたW・アヴェレル・ハリマンソ連アメリカ特命全権大使対し「もしこれらの条件極東での権益拡大)が満たされない場合には、私やモロトフが、ソ連人民に対して、どうしてソ連大しトラブルのない国日本対し参戦するのか説明するのが困難になりましょうと言って脅迫したように、対日参戦狡猾に政治利用している。最終的には、5月ドイツ降伏した後、8月にさらに戦力強化していた極東赤軍が、日ソ中立条約一方的に破棄して進撃開始し弱体化していた関東軍なす術もなく潰走満州全土ソ連占領された。

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ソビエト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 19:13 UTC 版)

電気式ガスタービン機関車」の記事における「ソビエト」の解説

かつてG1-01形ガスタービン機関車ロシア語版)GT101形ガスタービン機関車ロシア語版)、GP1形ガスタービン機関車ロシア語版)を試作したが、いずれも実用化には至らなかった。 ソビエトは1954年からガスタービン鉄道車両開発開始した複数の型が開発され機関車配備され試作機試験された。1970年代電気機関車比較して経済性に劣るのでガスタービン機関車開発中断された。

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ソビエト

出典:『Wiktionary』 (2021/08/23 09:36 UTC 版)

固有名詞

ソビエト

  1. 1922年から1991年まで存在したアジアヨーロッパにまたがる社会主義国家ソビエト社会主義共和国連邦
  2. 和歌山県にある無人島

名詞

  1. 代表者による会議評議会

「ソビエト」の例文・使い方・用例・文例

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