ソビエトによるコピー生産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 14:28 UTC 版)
「パンツァービュクセ」の記事における「ソビエトによるコピー生産」の解説
独ソ戦の初期にPzB39とその使用弾薬を鹵獲した赤軍では、対戦車兵器の不足を補うためにこれらをフルコピーすることを計画し、1941年7月8日にはヨシフ・スターリンの「可能な限り早急に製造せよ」との指示で作業の開始が命じられた。 1941年8月初頭には2挺の試作品が完成し、同じく完成した弾薬の試作品を用いて試験が行われた。その結果、特に弾薬に品質面での問題が多く、オリジナル品に比べて性能と耐久性に問題があり、作動不良が頻発するという問題が判明したものの、一刻も早い製造が命じられていたことから、1941年中に銃3万挺、弾薬230万発を生産する計画が立案された。 このフルコピー品は制式名称すら与えられぬままトゥーラ造兵廠において1941年8月10日に生産が開始され、同年末までに少なくとも1,000挺を製造する予定であったたが、この時には既に国産の対戦車ライフル生産の目処がついていたため、同年8月から9月にかけて144挺が製造されたのみで終了し、トゥーラ防衛戦において少数が限定的に使用されたのみである。 また、ドイツ軍包囲下のレニングラード(現:サンクトペテルブルク)において、PzB39とそのソビエト製コピー品の設計図を用い、口径を14.5mmとし使用弾薬を14.5x114mm弾に変更したものが、対戦車ライフルおよび対狙撃ライフル(敵の狙撃に対抗するための大威力長射程の狙撃銃)として"ZIF-11(ЗИФ-11)"および"ZIF-11A/B(ЗИФ-11А/Б)"の名称で開発され、少数が製造されて使用されている。
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