ソビエトによる反攻期
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「黒海ドイツ人」の記事における「ソビエトによる反攻期」の解説
1942年から1943年にかけての冬季、スターリングラードでのドイツ軍の敗北で、赤軍はドイツ占領地域の奪還を伴う攻勢を開始した。 SS長官ハインリヒ・ヒムラーはすべてのドイツ民族を引き揚げさせ、第三帝国に帰還させる決定をした。帰還は北コーカサス内に散らばったドイツ系コミュニティーで始まり、1943年2月に11000人が移された。 その直後、4万人のドイツ系ロシア人はドン川とドニプロ川に挟まれた地域から西方へ移された。1943年10月にソビエト軍がドニプロ川に近づいた時、総計およそ3万5000人のコルティツァ(英語版、ドイツ語版)メノナイトのコミュニティは逃亡せねばならなかった。10月に4万5,000人のヴォルィーニ(西ウクライナ)から来たドイツ民族は再び去らねばならなかった。しかも1944年2月までに、赤軍を止めることはできないことが南ウクライナのドイツ系にとってが明らかになり彼らは避難を始めた。 およそ13万5000人が西部に逃げた。28万人と見積られているドイツ民族はソビエトから成功裏に脱出した。その数は1943年の帝国国勢調査によれば戸籍のあるドイツ系人口のほぼ90%に相当する。
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