9784004317852
どくソ‐せん【独ソ戦】
独ソ戦
独ソ戦(バルバロッサ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 09:37 UTC 版)
「第1SS装甲師団」の記事における「独ソ戦(バルバロッサ)」の解説
マリータ作戦でのLSSAHの優れた功績に、ヒムラーは師団規模へ拡大するように命令を下した。既に旅団規模の部隊であったが、部隊はSS自動車化師団 ライプシュタンダーテ SS アドルフ・ヒトラー(SS-Motorisierte Division „Leibstandarte SS Adolf Hitler“)と改称した。にもかかわらず、ソビエト侵攻作戦であるバルバロッサ作戦発動前の為、完全な師団に編成する時間がなく新しい「師団」はまだ旅団規模のままであった。 LSSAHは、第LIV軍団に配属され予備部隊に置かれた。8月、エヴァルト・フォン・クライスト上級大将指揮の第1装甲集団麾下の第III軍団に転属となった。この間、LSSAHはウーマニ戦とキエフ占領に参加した。部隊は特に名を馳せたマイヤーの大隊と共に、激しい戦いに没頭した。 9月初め、クリミア半島掃討作戦の準備の為、部隊は再度第LIV軍団に転属となった。作戦は、1941年9月17日に発動された。LSSAHは、ターテルディッチ近郊のソ連軍防御陣地強襲の為、ペレコープ地峡を越える前にペレコープの町において激しい戦闘に巻き込まれた。 10月にLSSAHは再び第III軍団に転属しロストフ攻略戦に参加、11月の終わりに占領した。その後予想されるソ連軍の攻勢の為ロストフ外縁で陣地を構築した。バルバロッサ作戦の間、師団はソビエト領内を960kmも深く進攻した。 11月後半からは開始されたソ連軍による強烈な攻勢は、南方軍集団の防御線をロストフからミウス河まで後退させた。LSSAHはロストフで多数の損耗を被り後退し、ミウス地区で第XIV軍団の指揮下に入った。気温-40℃はソ連軍の攻撃に対しての牽制行動をほとんど不可能にし、不十分な冬季装備と一日150gの糧食だけで激しい防御戦闘を行い、ロシアでの最初の冬が終わった時5,281名の損耗を被っていた。 1942年春の泥濘の時期が終了した5月12日、ハリコフに向かってチモシェンコのソ連南西方面軍が攻撃を開始しドニエプロペトロフスク近くで戦線を突破、ハリコフ南東に進出した。LSSAHは第III軍団の一部として戦線の穴を埋めるために急行し陣地を保持した。その後、第1装甲軍の予備となり再編成のためスターリノに移動した。 6月28日ブラウ作戦が発動、LSSAHは第III装甲軍団に復帰した。7月12日からLSSAHは前線から引き抜かれ装甲擲弾兵師団への再編成とSS装甲軍団新設の為、占領下のフランスのノルマンディー地方に送られた。
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