独ソ戦序盤(1941年)
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「機甲師団」の記事における「独ソ戦序盤(1941年)」の解説
ドイツ装甲師団の成功を見たスターリンは態度を改め、1940年29個機械化軍団(2個戦車師団・1個自動車化師団で構成される予定だった)を作ることを決定した。 しかし、独ソ戦開始時点では、戦車の充足率は60%強であり、それも大半が旧式戦車で、新型のT-34戦車は1、200両余り、KV系重戦車は600両余りであった。しかも、機械化を進めた将校の粛清で、戦車部隊運用のノウハウを持つ人材は全く育っていなかった。 また、独ソ戦序盤におけるソ連軍の損害は非常に大きく、戦車不足であったことと大規模な戦車部隊を運用する能力が無いことを自覚したことから戦車師団の編成を断念し、既存の戦車師団も解隊された。
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