カール・デーニッツとは? わかりやすく解説

カール・デーニッツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 02:21 UTC 版)

カール・デーニッツドイツ語 : Karl Dönitz1891年9月16日 - 1980年12月24日)は、ドイツ海軍軍人政治家アドルフ・ヒトラーの後継者として第三帝国最後の政府を率いた。海軍軍人としての最終階級は元帥(大提督)。


注釈

  1. ^ 1939年10月13日のU47による停泊中の英戦艦ロイヤル・オークへの襲撃でも7本の魚雷のうち2本しか正常に作動しなかった。
  2. ^ ヒトラーは権限の伴わない将官の昇進を陸海軍でこの時期大量に任命している。これにより、旧プロイセン軍人のヒトラーへの嫌悪感が多少和らいだとされる。
  3. ^ アシカ作戦を前にしてレーダーはヒトラーとの1940年7月11日の会談で、「英国民に戦争を実感させる為に、先ず海上補給の締め上げ、次にイギリス主要都市の爆撃とで政治的に決着をつける」ことを進言している。もっともアシカ作戦自体は10月12日には作戦はヒトラーにより中止された。
  4. ^ しかし、事件後「ナチ式敬礼」が海軍式(帝政ドイツ式)に代えて採用された。また、事件直後には関係者として国防軍情報部長官であったカナリス海軍中将が逮捕され、終戦間際の1945年4月に刑死している。
  5. ^ ドイツ軍人は伝統的にその元首(この場合はヒトラー)に対して宣誓(神聖な契約、誓)により忠誠を尽くすことが強く義務付けられていた(忠誠宣誓)。これは英米のシビリアンコントロールとは違った騎士道精神的な伝統であり、大戦後のドイツ国防軍でも旧軍出身者にとり混乱の原因となった[13]
  6. ^ 輸送人員について、Wolfgang Frankは250万から300万人とし[27][要ページ番号]、Cajus Bekkerは200万人以上としている[28]
  7. ^ 主な損害として、1945年1月30日にヴィルヘルム・グストロフ号で9000人以上、2月10日にシュトイベン号で9300人以上、4月16日にゴヤ号での7000人以上があげられる。犠牲者の大半が難民の女性と子供たち、少数の負傷兵であった。

出典

  1. ^ a b c d クノップ 2001, p. 322.
  2. ^ クノップ 2001, p. 323.
  3. ^ a b クノップ 2001, p. 325.
  4. ^ Wilson, Alastair; Callo, Joseph F. (2004). Who's Who in Naval History: From 1550 to the present. Routledge. p. 110. ISBN 0415308283 
  5. ^ Nazi Germany's Last Leader: Admiral Karl Dönitz
  6. ^ ゴールデンソーン 2005, p. 223.
  7. ^ Fredriksen, John C. (2001). America's Military Adversaries: From Colonial Times to the Present. ABC-CLIO. p. 145 
  8. ^ カーユース・ベッカー「呪われた海」1972年フジ出版(大西洋の戦い-総括)
  9. ^ 柿谷哲也『知られざる潜水艦の秘密: 海中に潜んで敵を待ち受ける海の一匹狼』SBクリエイティブ、2016年、12頁。 
  10. ^ ベッセル 2015, p. 217.
  11. ^ a b ベッセル 2015, p. 218.
  12. ^ カーショー(2021年)、466頁。
  13. ^ Raymond Toliver; Trevor Constable (1971). The Blond Knight of Germany: A biography of Erich Hartmann [要文献特定詳細情報]
  14. ^ a b c フォルカー(2022年)、40-41頁。
  15. ^ クノップ 2001, p. 361.
  16. ^ フォルカー(2022年)、44-45頁。
  17. ^ フォルカー(2022年)、56頁。
  18. ^ クノップ 2001, p. 365.
  19. ^ a b c d フォルカー(2022年)、47頁。
  20. ^ クノップ 2001, p. 209.
  21. ^ a b フォルカー(2022年)、57頁。
  22. ^ フォルカー(2022年)、59頁。
  23. ^ フォルカー(2022年)、148-149頁。
  24. ^ フォルカー(2022年)、60頁。
  25. ^ フォルカー(2022年)、306頁。
  26. ^ a b フォルカー(2022年)、310-311頁。
  27. ^ Frank 1953, p. 不明.
  28. ^ Cajus Bekker (1972). Verdammte See [要文献特定詳細情報]
  29. ^ カーショー(2021年)、279頁。
  30. ^ フォルカー(2022年)、402頁。
  31. ^ クノップ 2001, p. 364-366.
  32. ^ パーシコ、上巻p.47-48
  33. ^ マーザー 1979, p. 76.
  34. ^ マーザー 1979, p. 78.
  35. ^ パーシコ、上巻p.120
  36. ^ Die Woelfe und der Admiral /Wolfgang Frank /1953 (Finale in Nürnberg)
  37. ^ カーン 1974, p. 77.
  38. ^ Die Woelfe und der Admiral /Wolfgang Frank /1953 Die Laconia
  39. ^ 1930年4月22日のロンドン条約第4編に掲げられる潜水艦の戦闘行為についての規則に関する調書
  40. ^ マーザー 1979, p. 239-240.
  41. ^ マーザー 1979, p. 243-246.
  42. ^ マーザー 1979, p. 242.
  43. ^ パーシコ(1996)、下巻p.273
  44. ^ パーシコ(1996)、下巻p.279
  45. ^ a b バード 1976, p. 125.
  46. ^ a b クノップ 2001, p. 373.
  47. ^ バード 1976, p. 130.
  48. ^ バード 1976, p. 199.
  49. ^ バード 1976, p. 209.
  50. ^ バード 1976, p. 210.
  51. ^ a b c d クノップ 2001, p. 375.
  52. ^ Jörg Echternkamp: ‘’Die 101 wichtigsten Fragen – Der Zweite Weltkrieg’’. Beck, München 2010, S. 120. Das Dokument wurde nach Dönitz Tod am 30. Dezember 1980 vom Rechtsanwalt Otto Kranzbühler dem amtierenden Bundespräsidenten Karl Carstens übermittelt. Da Bundespräsidialamt und Bundeskanzleramt ihm keinerlei rechtliche Relevanz beimaßen, erfuhr die Öffentlichkeit davon erst 2005 durch einen Leserbrief Hans Neusels, des ehemaligen Leiters des Präsidialbüros von Karl Carstens in der ‘’Frankfurter Allgemeinen Zeitung’’: ‘’Karl Dönitz an Karl Carstens’’. In: ‘’フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング’’, Archiv, 2. Juni 2005. Vgl. Das Digitalisat: ‘’40 Jahre: Das Politische Testament von Karl Dönitz’’, bundesarchiv.de (Memento vom 17. 10月 2015 im Internet Archive) (PDF) vom 7. Mai 2015, jetzt bei 40 Jahre: Das Politische Testament von Karl Dönitz (Memento vom 25. 3月 2016 im Internet Archive).
  53. ^ ”Testament” von Karl Dönitz”. Sonnenstaatlandforum. 2022年4月23日閲覧。
  54. ^ デーニッツ 1981, p. 訳者あとがき.
  55. ^ クノップ 2001, p. 376.
  56. ^ 米軍の拘留記録
  57. ^ モズレー 1977, p. 166.
  58. ^ a b パーシコ、上巻p.47
  59. ^ クノップ 2001, p. 350/357.
  60. ^ a b ゴールデンソーン 2005, p. 232.
  61. ^ ゴールデンソーン 2005, p. /230239-240.
  62. ^ ゴールデンソーン 2005, p. 240.
  63. ^ ゴールデンソーン 2005, p. 237-238.
  64. ^ ゴールデンソーン 2005, p. 233.
  65. ^ ゴールデンソーン 2005, p. 234.
  66. ^ ゴールデンソーン 2005, p. 236-237.


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ドイツ第三帝国期の政治家 フランツ・ギュルトナー  コンスタンティン・フォン・ノイラート  カール・デーニッツ  フィリップ・ボウラー  ヘルマン・クリーベル
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騎士鉄十字章受章者 アルブレヒト・ブランディ  ブルーノ・ブロイアー  カール・デーニッツ  ハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー  ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
ドイツ帝国の軍人 フリッツ・フォン・ベロウ  マクシミリアン・フォン・シュペー  カール・デーニッツ  オットー・ヴェディゲン  ヴィルヘルム・カナリス
ドイツ第三帝国の元帥 フェードア・フォン・ボック  エードゥアルト・フォン・ベーム=エルモッリ  カール・デーニッツ  フェルディナント・シェルナー  フーゴ・シュペルレ
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