ヴィルヘルムスハーフェンとは? わかりやすく解説

ウィルヘルムスハーフェン【Wilhelmshaven】


ヴィルヘルムスハーフェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/30 00:03 UTC 版)

紋章 地図
基本情報
連邦州: ニーダーザクセン州
郡: 郡独立市
緯度経度: 北緯 53度31分
東経 8度8分
標高: 海抜 約 2 m
面積: 106.91 km²
人口:

76,247人(2023年12月31日現在) [1]

人口密度: 713 人/km²
失業率: 12.3% (2006年7月現在)
郵便番号: 26351 – 26389 (旧: 2940)
市外局番: 04421, 04423
ナンバープレート: WHV
自治体コード: 03 4 05 000
市の構成: 27 地区このうち一つは区議会を持つ自治区である
市庁舎の住所: Rathaus
26380 Wilhelmshaven
ウェブサイト: www.wilhelmshaven.de
行政
上級市長: エーベルハルト・メンツェル (Eberhard Menzel) (SPD)
ヴィルヘルムスハーフェンのヴィルヘルム皇帝橋

ヴィルヘルムスハーフェン: Wilhelmshaven)はドイツ連邦共和国の都市。ニーダーザクセン州に属する。人口はおよそ8万5千人。

地勢・産業

北海に面しており、19世紀より軍港として栄えた港湾都市。近隣の都市として、30キロほど東にブレーマーハーフェン、50キロほど南にオルデンブルク、100キロほど南東にブレーメンなどがある。港のコンテナ取扱量は、ハンブルクブレーマーハーフェンに次いでドイツ第3位。

歴史

オルデンブルク大公国の領土だったが、1853年の条約に基づいてプロイセン王国が買収した。プロイセンはこの地に軍港を建設し、プロイセン海軍ドイツ語版英語版の重要な拠点とした。ヴィルヘルムスハーフェンという地名は、1871年に成立したドイツ帝国の初代皇帝ヴィルヘルム1世にちなんだものである。

第一次世界大戦末期の1918年10月末、ヴィルヘルムスハーフェンにドイツ大洋艦隊が集結した。指導部は、敗北が決定的になったにもかかわらず、敗戦後の交渉を有利に導くためイギリス艦隊への出撃を命じた(いわゆる「提督たちの反乱」)。これに対し、水兵たちは出撃を拒否し不穏な状況となった。抗議行動を続けていた一部の艦隊の水兵はキール軍港へ上陸、11月3日に大規模な反乱を引き起こし、ドイツ革命へと至った。

1956年以来、この地には北大西洋条約機構(NATO)の海軍基地が置かれている。


年表 ヴィルヘルムスハーフェン(Wilhelmshaven)の発展
ヴィルヘルムスハーフェン(Wilhelmshaven) ヘッペン(Heppens) ノイエンデ(Neuende) バント(Bant) ゼングヴァルデン(Sengwarden)
1869 ヴィルヘルムスハーフェンと命名 ヘッペン ノイエンデ ゼングヴァルデン
1873 ヴィルヘルムスハーフェンが市に昇格
1879 ヴィルヘルムスハーフェン バント市が誕生
1911 三地域が合併してリュストリンゲン(Rüstringen)
1937 リュストリンゲン(Rüstringen)と合併
1938 クナイプハウゼン(Kniphausen)を併合して拡大
1948 ヴィルヘルムスハーフェン フェッデルヴァルデン
→ ゼングヴァルデン
1972 ゼングヴァルデンを併合して拡大

姉妹都市

出身有名人

関連項目

引用

外部リンク


ヴィルヘルムスハーフェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 03:26 UTC 版)

U37 (潜水艦・2代)」の記事における「ヴィルヘルムスハーフェン」の解説

U-37艦歴における前半哨戒ではヴィルヘルムスハーフェンを母港とした。最初哨戒では1939年8月19日北大西洋を4週間近く運航し1939年9月15日帰港した2度目哨戒1939年10月5日から11月8日にかけてヴェルナー・ハルトマン指揮下にて北大西洋航行し、8隻の船を沈めた1940年1月1日U-37第2潜水隊群配属された。1940年1月28日から2月27日にかけて3度目哨戒行い北大西洋航行し、8隻の船を沈めた3月30日から4月18日にかけてはノルウェー周辺海域哨戒し、3隻の船を沈めた5月15日から6月9日にかけては新し艦長ヴィクトル・エールン指揮下にてポルトガルとスペイン航行し11隻の船を攻撃しそのうち10隻を撃沈した8月1日にヴィルヘルムスハーフェンを出港したU-37アイルランドの西を哨戒し、第2潜水隊群拠点としているフランスロリアン向かった

※この「ヴィルヘルムスハーフェン」の解説は、「U37 (潜水艦・2代)」の解説の一部です。
「ヴィルヘルムスハーフェン」を含む「U37 (潜水艦・2代)」の記事については、「U37 (潜水艦・2代)」の概要を参照ください。

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