ヴィルヘルムの気象学への転向
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「ヴィルヘルム・ビヤークネス」の記事における「ヴィルヘルムの気象学への転向」の解説
ヴィルヘルムが循環定理を発表したとき、彼は力学以外にはほとんど関心がなかった。しかし1898年にヴィルヘルムがストックホルムの物理学会で講演した際に、彼は少しでも自身の定理の有用性を示すため、地球物理学の研究者たちが興味を持っているような大気現象や海洋現象への自身の循環定理の適用を提案した。また、地球物理学の研究者たちにビヤークネスの循環定理の有用性を理解させるために、1898年に「流体力学の基本的定理と特に大気と世界の海洋へのその応用(Über einen hydrodynamischen Fundamentalsatz und seine Anwendung besonders auf die Mechanik der Atmosphäre und des Weltmeeres)」と題した本を発表した。 当時は総観規模の大気運動の解析は地上天気図(気圧分布)を使った定性的かつ主観的なものが主だった。ヴィルヘルムは、研究生のサンドストレーム(Johan Sandström)とともに凧などを使って上空のソレノイドの計算を行った。1900年にサンドストレームは、高層大気の3次元断面図から、十分な数のソレノイドがあれば数時間で観測されたような強風が発生することを計算で示した 。これらの結果から、ヴィルヘルムは自身の定理が大気運動を力学を使って説明する手段となることを確信した。 ヴィルヘルムは流体力学と電磁気学とを統合する物理理論の構築に向けた研究を熱心に進めていた。ところが、1900年前後からX線、原子核、電子の存在がはっきりし、ヴィルヘルムの電磁気現象を流体力学的に考えることは疑問視されるようになった。ヴィルヘルムは当時の物理学界からはマクスウェルを信奉する19世紀物理学の古典論者と見なされるようになった。また、一時はヴィルヘルム自身がノーベル賞の選考委員に選ばれる検討もなされていたが、結局選考委員には選ばれなかった。一方で彼は気象学においては素早い反応を実感していた。彼は行き詰まった状況を打開するために、1905年には気象学への道を選ばざるを得なくなった。
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