ヴィルヘルム2世との対立とは? わかりやすく解説

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ヴィルヘルム2世との対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:41 UTC 版)

ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「ヴィルヘルム2世との対立」の解説

1888年6月フリードリヒ3世在位99日にして崩御しウィリーヴィルヘルム2世として第3ドイツ皇帝即位したヴィクトリアは早速この孫に「私は断腸の思いでいます。気の毒な貴方のお母さんのために出来るだけのことをしなさい。また高貴慈愛にあふれ、この世で最も偉大であった貴方のお父さん手本となさい」という手紙送った。この時にはヴィルヘルム2世も「最愛おばあちゃま宛てに「母の願い事叶えるために最大努力をしているところです」と母を重んじているかのような返信をした。だが反自由主義者のヴィルヘルム2世ビスマルクは「イギリス女」ヴィッキー事実上幽閉状態に置いていた。ついにヴィッキーイギリス帰りたい吐露する手紙ヴィクトリアに送るようになり、それを読んだヴィクトリア日記に「腸が煮えくりかえる思いである」と書いている。 ビスマルク外交手腕ドイツ帝国ヨーロッパ政治中枢になっていたが、海軍力ではイギリスあけられていた。ドイツ工業力は飛躍的に伸びており、強力な海軍建設することも不可能ではなかったが、ビスマルクはあくまで外交各国操ってドイツ国際的地位優位にしようと考えていたため、他国警戒感強めさせる過大な軍事力邪魔だった。一方ヴィルヘルム2世いつまでドイツの海軍力をイギリスの下にしておくつもりはなく、イギリス越え大植民地帝国を創り上げるつもりだった。それを邪魔立てするつもりなら祖母の国との対決辞さない覚悟だった。ヴィクトリアヴィルヘルム2世6歳の頃「『あの恐ろしいプロイセン流の誇り野心』を持たないよう育ってほしい」と日記の中で祈願していたが、その願いは叶わなかった。 1889年4月ヴィルヘルム2世ウィーン訪問していた際に英国皇太子バーティウィーン訪問しバーティは甥に会談申し込んだが、ヴィルヘルム2世自分がまず会見して敬意を表すべき相手オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフであり、まだ皇太子に過ぎないバーティではないとして拒否した。この件にヴィクトリアバーティも「叔父にあたる者に対して無礼である」と激怒した。この騒動8月ヴィルヘルム2世が訪英してバーティ和解することで何とか解決したが、ヴィクトリア英独関係に不安を感じるようになり、ビスマルク自分肖像画を送るなどして彼を引き込もうとし、ヴィルヘルム2世抑えさせようとしたが、ビスマルク1890年ヴィルヘルム2世により辞職追いやられたヴィルヘルム2世ヴィクトリアバーティ尊属として自分より上の立場から物を言うことが気にくわず、「イギリス自分皇帝として遇していない」と批判するようになった。それに対してヴィクトリアは「私と皇太子は、孫であり甥である彼とは親密な関係にあった。にもかかわらず皇帝陛下としての待遇公私問わず要求してくるとは狂気の沙汰である。」と怒り心頭発して語っている。しかしこうした見解ヴィルヘルム2世だけのものではなく多くドイツ国民自分たちの皇帝子供扱いするイギリス女王無礼なりと感じている人が多かったヴィルヘルム2世年に一度訪英したが、ヴィクトリアにとっては煩わしい行事になり、外務官僚たちにとっても外交儀礼苦心させられる行事となった前述したようにヴィルヘルム2世1896年ジェームソン侵入事件の際にトランスヴァール共和国大統領クリューガー祝電送った。「イギリス悪気があってしたのではない」というヴィルヘルム2世弁明ヴィクトリアも一応受け入れたが、ヴィクトリア内心怒り強くその後様々な理由付けてヴィルヘルム2世の訪英を拒否するようになった。ようやくヴィクトリア勘気解けてヴィルヘルム2世が訪英を許されるようになったのは1899年になってのことだった。

※この「ヴィルヘルム2世との対立」の解説は、「ヴィクトリア (イギリス女王)」の解説の一部です。
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