ジェームソン侵入事件とは? わかりやすく解説

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ジェームソン侵入事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:26 UTC 版)

ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)」の記事における「ジェームソン侵入事件」の解説

南アフリカボーア人国家トランスヴァール共和国は、第二次ディズレーリ内閣時の1877年4月イギリス併合されたが、第二次グラッドストン内閣時の1880年第一次ボーア戦争勝利して再独立していた。 1886年トランスヴァールウィットウォーターズランド金鉱発掘されヨハネスブルグの町が建設されトランスヴァール共和国潤い始めたイギリスやイギリス・ケープ植民地などからも続々と金ダイヤモンド採掘のための移民集まってきた。しかしこの移民たちはトランスヴァール政府自分たちに重税課し選挙権認めずケープ植民地からの輸入禁止していることに不満を高めていった。イギリス・ケープ植民地首相イギリス南アフリカ会社社長であるセシル・ローズとその首席補佐官レアンダー・スター・ジェームソン(英語版)は、この移民たちの不満を煽って、トランスヴァールを再併合する機会狙っていた。 1895年12月から翌1896年1月にかけてヨハネスブルク在留イギリス人内乱準備連携してジェームソン率い500名ほどの南アフリカ会社所属騎馬警察隊が突然トランスヴァール共和国侵入開始したが、計画あまりに杜撰すぎて早々にボーア人民兵隊に包囲され降伏したヨハネスブルク在留イギリス人たちの反乱もまもなく鎮圧された(ジェームソン侵入事件(英語版))。 植民ジョゼフ・チェンバレン首相ソールズベリー侯爵計画知っていたが、静観決め込んでいた。事件失敗に終わるとイギリス本国政府は公式にはこのジェームソン行動批判することで関与否定しトランスヴァール軍から釈放されジェームソン反逆罪裁判にかけ、また査問委員会設置してローズ弾劾し、彼を公職から追放したチェンバレン関与疑われたが、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世トランスヴァール共和国大統領ポール・クリューガー宛てて祝電送ったことが判明し世論自由党批判もそちらへ流れていった結果チェンバレン失脚免れた

※この「ジェームソン侵入事件」の解説は、「ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)」の解説の一部です。
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