再独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 08:00 UTC 版)
「アフガニスタンの歴史」の記事における「再独立」の解説
1919年、アブドゥル・ラーマンの後を継いで国王となっていたハビーブッラー・ハーンが暗殺され、王位は息子のアマーヌッラー・ハーンが引き継いだ。同年5月、アマーヌッラーはイギリス軍に対してデュアランド・ラインで失われたパシュトゥーン人の土地を取り戻すという名目でジハードを仕掛けた(第三次アフガン戦争、第II期グレート・ゲーム)。第一次世界大戦やインドでの内乱でイギリス軍が疲弊していることを見越しての戦争であったが、軍事用の複葉機からの空爆を初めて受けるなどし戦意を挫かれ、早々に終戦となり、ラーワルピンディーで条約を交わすことになった。 イギリスは戦争には勝利したものの疲弊していたのは事実であり、ライバルのロシアに革命がおきグレート・ゲームから脱落したこともあり、国境線はデュアランド・ラインで維持することを認めさせつつ、アフガニスタンの独立を認めた。その後、アフガニスタンは急速に近代化を進めることとなる。
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