エストニア再独立後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 06:33 UTC 版)
「エストニア銀行」の記事における「エストニア再独立後」の解説
エストニアがソビエト連邦から分離する直前の1989年12月15日、エストニア銀行について翌月1日からソビエト連邦の統制を離れた業務を再開することが決定された。同月28日にはエストニア共和国銀行法 (Eesti Vabariigi Pangaseadus) が可決され、エストニア銀行に独自通貨の発行を認める規定が盛り込まれた。また1990年3月15日には業務内容を定めるエストニア銀行定款が承認された。 1992年6月20日に通貨制度の改革が実施され、エストニアはルーブル圏から離脱した。またエストニア唯一の通貨をエストニア・クローンとすることが定められた。このとき1ドイツ・マルク=8クローンとするペッグ制が採用された。その後欧州連合の経済通貨統合によりユーロが導入されることに伴って、1998年12月31日以降は1ユーロ=15.6466クローンで固定されている。 2004年5月1日にエストニアが欧州連合に加盟したことに伴って、エストニア銀行は欧州中央銀行制度に加わった。さらに翌月27日からは欧州為替相場メカニズムに加わり、エストニア政府は近い将来のユーロ導入の目標を掲げ、2004年12月15日にはエストニアのユーロ硬貨のデザイン案が発表された。
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