エストニア全人民代議員総会
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「エストニアの独立回復」の記事における「エストニア全人民代議員総会」の解説
1990年2月2日のタルトゥ条約締結記念日には、最高会議の賛同のもとにエストニア全人民代議員総会が開かれ、地方議会から最高会議までの議員や、連邦人民代議員大会へのエストニア代表など4000人がタリン市ホールに集結した。彼らは国際連合や全欧安全保障協力会議 (CSCE)、各国政府に宛てて独立宣言を発し、「我々から暴力によって奪われた独立国としての地位と権利を、法律に則った形で平和裏に回復する」「タルトゥ条約が現在も有効であるとの立場から、エストニアの事実上の回復に向けての交渉を、すべての関係者との間で始める」と述べた。 前年11月の主権回復宣言から大きく前進したこの宣言は、民族派が呼びかけていた同月24日からのエストニア会議選挙に対抗するためのポーズとも取れる。しかし実際にこの宣言は、エストニア側から正式な連邦離脱交渉を開始する転換点となった。2月19日、最高会議は連邦内務省エストニア支部を廃止し、新たなエストニア内務省(エストニア語版)を創設すると決定した。
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