エストニア会議選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:22 UTC 版)
「エストニアの独立回復」の記事における「エストニア会議選挙」の解説
一方、国外で進行していた東欧革命を追い風に、エストニア会議招集のための国民委員会への登録者数は着実に増加していた。エストニア会議の選挙は24日から5日間に渡って実施され、59万1508人が投票した。その結果は無党派109議席・人民戦線107議席・民族遺産保存協会104議席・民族独立党70議席・共産党39議席と、決して民族派の圧勝ではなかった。しかし直後には、民族派に批判的であった人民戦線の側からも、勢いを増すエストニア会議との協調の必要性が語られるようになった。 3月11日に招集されたエストニア会議第1回大会 (et) は、リトアニア最高会議による独立回復宣言(英語版)と重なった。しかし、エストニア会議は急進的な独立要求を否定するとともに、エストニア最高会議が独立を宣言する権限も否定し、リトアニアとは異なる戦略を採った。エストニア会議は、自国が50年間併合・占領状態にあることを確認し、自身がエストニア国家再建までの間の、国民の唯一の代議機関であると宣言した。
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