エストニアのスウェーデン語話者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 22:50 UTC 版)
「スウェーデン語の歴史」の記事における「エストニアのスウェーデン語話者」の解説
バルト海に浮かぶエストニアの島々(ヒーウマー島、サーレマー島、Vormsi島)には、かつてスウェーデン領(エストニア公国)の時代にスウェーデン語話者のコミュニティが存在していた。彼らは議会に議席を持ち、スウェーデン語で議事に参加する権利を持っていた。18世紀初頭にロシア領になった際に、1000人ほどのスウェーデン語話者たちがウクライナに強制移住させられ、クリミア半島の北にGammalsvenskby(「古いスウェーデン語の村」の意)という集落を作った。年長の者は今でもスウェーデン語を話すが、死語となりつつある。一方エストニアに残ったスウェーデン人は第一次世界大戦後は良く扱われ、沿岸のスウェーデン人の多い自治体ではスウェーデン語が公用語となっていた。しかし第二次世界大戦後にエストニアがソビエト連邦に組み込まれると、スウェーデン語話者のほとんどがスウェーデンに逃げたため現在の話者はわずかである。
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