ジェームズ湾プロジェクト
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「イドロ・ケベック」の記事における「ジェームズ湾プロジェクト」の解説
詳細は「ジェームズ湾プロジェクト」を参照 1970年4月の選挙からほぼ1年後、ロベール・ブラッサ州首相は十万人の雇用を創出すること掲げた選挙公約を実現するためのプロジェクトを立ち上げた。1971年4月30日、熱狂的な自由党支持者の群衆に対して、ジェームズ湾に1万メガワット規模の水力発電所を建設する計画を発表した。3つの可能な候補地の評価を経て、イドロ・ケベックと政府はラグランデ川にロベール・ブラッサ発電所、ラグランデ第三発電所、ラグランデ第四発電所といった3つの新たな発電所を建設することを決定した。 厳格かつ遠隔的な設定でのこのような公共事業によってもたらされた第一に挙げられる技術的および論理的な課題において責任者であるジェームズ・ベイ・エナジー社長のロベール・A・ボイドが建設予定地の地域に居住している5,000人のクリー族がこのプロジェクトによって自身の伝統的な生活が守れなくなるという理由で反対運動を起こしたことに直面したことだった。1973年11月、クリー族達の訴えによってダム建設に必要な基本インフラ建設の仮差し止めが認められブラッサ政権はクリー族たちとの交渉を余儀なくされた。 2年にも及ぶ難しい交渉の末、1975年11月11日、ケベック州およびカナダ政府、イドロ・ケベック、ジェームズ・ベイ・エナジー、クリー族評議会はジェームズ湾と北ケベック合意に署名した。この合意はプロジェクトの継続と引き換えにクリー族の金銭的補償および教育と医療に関するサービスを行うことを定めたものである。 延伸工事期間だった1977年から1981年まで14,000人から18,000人の職人がジェームズ湾の様々な現場に参加した。1979年10月27日にLG-2発電所が稼働を開始、最大発電量5,616 MWはこの種の発電所としては世界で最も高い発電量だった。この発電所、ダムと関連する貯水池はブラッサ首相を讃え、彼の死後1996年10月に改名された。プロジェクトにおける第一段階の建設は1982年にLG-3が、LG-4が1984年5月27日にそれぞれ稼働したことで一区切りとなった。第二段階では1987年から1996年にかけてさらにLG-1(フランス語版) (1,436 MW)、LG-2-A (2,106 MW)、ラフォージ1(フランス語版) (878 MW)、ラフォージ2(フランス語版) (319 MW)、ブリセー(フランス語版) (469 MW)といった5基の発電所を複合体として建設した。
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