イギリス南アフリカ会社
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元の種類 | 公開会社 |
---|---|
業種 | 採鉱、植民地企業 |
その後 | 合併 |
前身 | 中央探求協会、探検会社 |
後継 | チャーター・コンソリデイテッド社 |
設立 | グレートブリテン及びアイルランド連合王国 ロンドン (1889年 ) |
創業者 | セシル・ローズ |
解散 | 1965年 |
本社 |
ロンドン 、イギリス |
事業地域 |
南部アフリカ地域 南アフリカ連邦 ボツワナ ローデシア ザンビア にあたる地域 |
主要人物 | セシル・ローズ (創設者) |
親会社 |
Charterland and General Exploration and Finance ![]() |
イギリス南アフリカ会社(イギリスみなみアフリカがいしゃ、英語: British South Africa Company, 略称:BSAC)は、南部アフリカ地域の貿易を目的に設立されたイギリスの国策会社。
歴史
イギリス東インド会社をモデルとし、イギリスの政治家セシル・ローズによって中央探求協会 (Central Search Association) と探検会社 (Exploring Company Ltd) の合併によって勅許状を受け1889年に設立。ローズはアフリカ分割の一部として、南部アフリカから中央アフリカ地域の植民地経営と経済的搾取を進めることを目的とした。会社は1894年には南東アフリカ地域の広大な土地を傘下におさめ、セシル・ローズの名にちなんで、「ローデシア」植民地と命名した。
1899年、セシルは自らの手によるマショナランド鉄道とローデシア鉄道を併せてローデシア鉄道トラストを組成した。イギリス南アフリカ会社はトラスト株式の約85%を所有した。このトラストはすべての鉱山利権を下付する当局でもあった。
1964年には鉱山採掘権をザンビアに譲渡せざるを得ず、その翌年、イギリス南アフリカ会社は中央鉱業投資会社 (Central Mining & Investment Corporation Ltd) 及び連結鉱業選択会社 (Consolidated Mines Selection Company Ltd) と合併し、アングロ・アメリカン社 (Anglo American plc) がその約1/3の株式を所有するチャーター・コンソリデイテッド社 (Charter Consolidated Ltd) となった。
脚注
参考文献
関連項目
- イギリス帝国
- イギリス連邦
- イギリスの海外領土
- ボーア戦争
- ケープ・カイロ鉄道
- ソールズベリー侯ロバート・アーサー・タルボット・ガスコイン=セシル - 時のイギリスの首相。勅許状を与え、ローズの植民地経営を後押しした。
外部リンク
- Institute of Rhodesian Army - ローデシアの歴史(BSACの活動内容)
イギリス南アフリカ会社
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「ジョセフ・トムソン (探検家)」の記事における「イギリス南アフリカ会社」の解説
イギリス政府が、「ザンベジア (Zambezia)」と称されていた、後のローデシア(現在のジンバブエとザンビアの領域)から、北はアフリカ大湖沼に至る地域の領有を主張していた1890年、ケープ植民地首相セシル・ローズは、トムソンを雇い入れ、ザンベジ川の北側を探検し、勅許会社であるイギリス南アフリカ会社の代表者として先住民の首長たちと条約を結んで鉱業権を確保する任務にあたらせた。この任務での遠征中、トムソンは一連の重要な条約を結んだが、天然痘がこの地域に蔓延しはじめたため、最終的な目的であった、イエケ王国(英語版)のムシリ(英語版)王の宮廷に滞在していたアルフレッド・シャープ(英語版)に会い、シャープを支援して、鉱物資源が豊富なこの地域をザンベジアに編入する条約を結ぶ、という目論見を果たすことはできなかった。トムソンの役割は、布、火薬、その他の贈り物を持参して、ムシリに好印象を与えるというものだった。しかし、これらの贈り物が到着しなかったために、シャープは拒絶され、1年後にウィリアム・ステアズ大尉(英語版)が率いた遠征隊 (Stairs Expedition) が、トムソンが再びカタンガを目指して競合していると思い込んだ状況で、ムシリを殺害し、カタンガをベルギー王レオポルド2世に譲り渡した。トムソンは、ステアズ遠征のことを知らないまま、イギリス政府から現地へ向かわないよう指示されていた。
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