セシル・ローズの野望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 07:04 UTC 版)
「ボツワナの歴史」の記事における「セシル・ローズの野望」の解説
次にツワナ人の前に現れた敵はケープ植民地の政治家セシル・ローズである。ローズはイギリスに生まれ、ケープ植民地に渡って財産を築き、国王から地域の統治責任を賜った特許会社であるイギリス南アフリカ会社 (BSAC) を設立した。ローズは地中海に面するエジプトのカイロからアフリカの南端ケープタウンに至る鉄道を建設し、アフリカ大陸を縦の線で支配することを考えていた。ローズは帝国主義的な領土拡張、フランスに対する対抗を第一の使命としていたからだ。まずはケープ植民地と1889年にローズが権利を獲得したばかりの南ローデシア(現在のジンバブエ)を接続しなければならない。 こうなると真っ先に標的になるのがケープ植民地と南ローデシアの間に横たわるベチュアナランドである。ローズとしても安価な鉱山労働者の供給源であるボツワナとの直接的な紛争は避けたかった。そこで、イギリス本国に対し、ベチュアナランドをローズの支配下に置くことを提案した。ローズがベチュアナランドを支配すれば、アフリカ南部におけるイギリスの権益が確実になるというのが理由である。 1894年、イギリスがローズの提案を受け入れる計画が明らかになると、翌年、カーマ3世、クウェナの首長セベレ、ングワケツェの首長バトエンの三人が直接イギリス本国に抗議のため渡航する。政府はもちろん、国教会や当時ようやく運動となっていたアフリカ人の土地所有を認めることを主張する団体を訪れ、影響を与えることに成功。ローズにベチュアナランドの権利は与えられなかった。しかし、東部ベチュアナランドのごく細長い土地がローズのイギリス南アフリカ会社に譲渡されたため、鉄道自体の建設は進められた。 同年、ドラケンスバーグ山脈の高峰コンパス山の北100kmに位置するド・アールからダイヤモンド採掘の中心地キンバリー、プレトリアの東200kmに広がるマフェキンを経由し現在ではジンバブエ第2の都市に成長したブラワヨに至る鉄道が完成、1897年には東海岸のベイラ港へ向かう鉄道と接続した。
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