セシル黒幕説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:17 UTC 版)
当時の多くの人々は、国王秘書長官ロバート・セシルが国王の寵愛を受けること、かつ、より強固な反カトリック法を制定するために陰謀に関与していたと疑っていた。このような陰謀論は、セシルが実際の計画の首謀者、あるいは自分の手下を計画に参加させておき、プロバガンダのために計画の準備が進むことを黙認していたというものである。1678年のカトリック陰謀事件では、再び火薬陰謀事件への関心が高まり、これに対してリンカーン司教のトマス・バロウ(英語版)が「事件がすべてセシル長官の策略という大胆だが根拠のない憶測」に反論した本を出版した。 1897年、ストニーハースト大学(英語版)より、火薬陰謀事件で逮捕を免れたジョン・ジェラード神父の名前を名乗る著者の『火薬陰謀とは何だったのか(What was the Gunpowder Plot?)』という本が発表され、この中ではセシルが黒幕だと主張されていた。この主張はその年の内にサミュエル・ガーディナー(英語版)の反論を受けた。ガーディナーは、何世代にもわたってイングランドのカトリック教徒たちを圧迫してきた火薬陰謀事件を「拭い去ろう」とするジェラードの行為は行き過ぎだと非難した。ガーディナーはセシルの罪は単なる機会主義者に過ぎないとした。1969年にフランシス・エドワーズが発表した『ガイ・フォークス:火薬陰謀の真相』など、セシルが陰謀に関与していたことを証明する試みは続けられたが、明確な根拠がないため、ジェラードの主張と同様の結果に終わっている。 議会地下室は、カトリック陰謀事件のニュースが流れた1678年まで個人に貸し出され続けていた。その後は、議会開会式(英語版)の前日に地下室を捜索することが賢明とされ、この儀式は現在まで続いている。
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