セジウィックの偵察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 01:46 UTC 版)
「ゲティスバーグからの撤退」の記事における「セジウィックの偵察」の解説
セジウィック軍団からの偵察は7月5日夜明け前に始まったが、1個師団の代わりに全軍団で行った。この軍団はその日午後遅くにフェアフィールドに近いグラナイトヒルでイーウェル軍団の後衛を襲ったが、結果は小競り合い以上のものにはならず、南軍はフェアフィールドの西1.5マイル (2.4 km) で宿営して、ほんの前哨線だけでその陣地を維持した。ウォーレンはミードに向けて、リーはフェアフィールド周辺にその軍隊主力を集結させ、戦闘に備えていると、ウォーレンとセジウィックが考えていると報せた。ミードは即座にその軍隊の動きを止め、7月6日早朝にセジウィックに対して、リーの意図を判断し山の峠道の状態を偵察することを再開するよう命令した。セジウィックは岩だらけの地域と前面の深い霧のなかに全軍団を送ることの危険性をミードと論議し、正午までにミードはその作戦を放棄して、山脈の東、ミドルタウンに進むという当初の作戦を再開した。ゲティスバーグを出るときの遅れと、セジウィックに対して単に偵察を行うのかあるいは積極的に前進してリー軍と戦闘を交えるのか矛盾する命令をだしたことで、ミードの敵対者が優柔不断と臆病と告発したように、後にミードを政治的苦境に立たせることになった。 セジウィックがフェアフィールドを前にして攻撃性を欠いたことを考慮すると、作戦終了後にミードがその追撃においてリーをもっと厳しく追及できたかも知れないと批評するのは著しく不適切に思われる。 Edwin B. Coddington, The Gettysburg Campaign ミードからの指示が矛盾していたとしても、セジウィックとウォーレンはさらに安全側に動いた。彼等はイーウェル軍団がフェアフィールドを明け渡すまで待ち、イーウェル軍団が西に動くにつれてその背後で安全な距離を保った。リーはセジウィックがその後衛を攻撃するものと思っており、その備えはできていた。イーウェルには「もし彼等が付いてくるならば、戻って叩け」と告げた。イーウェルは「神の導きによって、私がそれをやるだろう」と答え、ロバート・E・ローズ少将の師団に戦闘隊形を作るよう命じた。セジウィックの第6軍団はモンテレー・パスの頂点までリー軍を追ったが、反対側に降りてまで追撃することは無かった。
※この「セジウィックの偵察」の解説は、「ゲティスバーグからの撤退」の解説の一部です。
「セジウィックの偵察」を含む「ゲティスバーグからの撤退」の記事については、「ゲティスバーグからの撤退」の概要を参照ください。
- セジウィックの偵察のページへのリンク