戦闘隊形
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戦闘隊形は陣立ともいい、合戦に際して行軍隊形から敵との戦闘に備え、各隊を配置する。 備の戦闘隊形は高度に統制された軍隊と異なり厳密な操典はなく又、密集隊形を採らずに各兵科を横隊ごとに並べるもので、その配置も戦況に伴い頻繁に変更を行った。但し、各足軽部隊を前線に、騎馬武者隊を後方に置き、前者で戦線を形成し、それを後者で突破するというのは基本であった様である。 また、備単体では魚鱗や鶴翼の様な陣形はあまり重視されない。これら陣形は基本的に備以上の部隊配置に反映される。江戸時代の軍学書には備単体での陣形の組み方を示したものがあるが、実際に合戦が行われた戦国時代から江戸時代初期には足軽の過半が動員兵で占められており、その様な複雑な陣形を無理に維持する事は機動力を失わせる事になり、現実的ではない。 図1は合戦を描いた戦国合戦図屏風より、陣立がある程度確認できる岩国歴史博物館所蔵、川中島合戦図屏風の武田信玄本陣備(左図)と福岡市博物館所蔵、関ヶ原合戦図屏風の徳川家康本陣備(右図)を、図2は一般的な備(戦闘前)を模式図化したものである。因みに図1の徳川家康本陣備は中央に描かれていた単独の備である酒井左衛門尉備を除外し、家康直属部隊のみを示した[出典無効]。
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戦闘隊形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 21:18 UTC 版)
戦闘時、テルシオは槍兵と銃兵を組み合わせて一つの大方陣を作った。まず槍兵に縦深20列から30列程度の方陣を組ませる。この槍方陣の四方を2列の銃兵が取り囲む。この時、正面には威力の高いマスケット銃兵を置く。さらに、四隅に縦深4列から6列程度の銃兵の小方陣を組む。これによって全方位に死角のない方陣が完成する。ただし、数字は完全定数のものである。兵力が実際には半数だったのと同様に、こちらも割り引く必要がある。また、状況に応じて縦深の深さや横列の長さは適宜変更した。スペインはこの戦闘隊形を"Cuadro de Terreno"(野戦方陣)と呼んだ。他国では、この戦闘隊形自体をテルシオと呼び、あるいは単にスペイン方陣と呼んだ。 一見してテルシオの防御偏重は明らかである。これはスペインの戦訓から導き出されたものだった。レコンキスタの戦いは、山岳地帯の多いイベリア半島の地勢から、その多くがイスラムの拠点を奪取する攻城戦であった。テルシオ以前の装備が、要塞突入時の乱戦に適した剣と円盾であったことからもそれは伺える。イタリア戦争でフランスの重騎兵の脅威にさらされたスペインは、騎兵の機動力と衝撃力を減殺する方法を考えた。城壁、火器、塹壕、といった攻城戦の防御的要素が導き出されるのは、そうした過去の経験からすれば当然であった。その結果、これほどまでに防御を重視した大方陣が完成したのである。 つまり、テルシオは歩兵によって構成される要塞だった。それゆえにテルシオの機動力は劣悪で、移動や方向転換には莫大な時間がかかった。これは、テルシオの目的が防御にあることを考えれば当然の帰結であった。敵を迎え撃つだけならば、動く必要がないからである。しかしそれは同時に、こちらから攻撃に出るのが困難であることを意味した。この欠陥を補うために、スペインはテルシオの前面に砲を配備した。これもまた、要塞の概念を野戦に持ち込んだものだった。 テルシオを破るには、攻城戦と同様に外壁(槍兵)を削るか、砲撃によって隊形そのものを崩すしかなかった。しかし、16世紀の巨大で鈍重な大砲では、野戦でテルシオを崩すほどの砲撃を加えるのは難しかった。結局、スペインの敵が選択したのは、彼らのやり方を模倣することだった。 この結果、16世紀の戦場では、テルシオ同士がにらみあい、衝突して、少しずつ相手の槍兵を削っていくという光景が繰り広げられた。勝利を得るためには、相手が損害に耐え切れずに撤退するか、兵の士気が低下して自己崩壊するのを待つしかなかった。この時代は傭兵が軍の主力であったため、部隊としての結束力が低く、士気低下による崩壊は引き起こしやすかった。この点、常備軍的なテルシオは結束力が高く、優位に立つことができたのである。だが、たとえ崩したとしても壊滅的な打撃を与えることは難しかった。テルシオでは追撃ができなかったからである。 野戦による早期の決着が期待できる時代ではなかった。戦術的にも戦略的にも防御が重視されるようになり、決戦よりも機動戦や消耗戦が多くなった。このため、16世紀から18世紀にかけて、戦争の期間は長期化した。 一方で、テルシオの戦闘隊形を銃兵に取り巻かれたパイク兵の方陣とする説明は誤りであり、実際には銃兵の配置や隊形の形状は指揮官が敵や状況を把握して柔軟に指示するものであり、火器を有効利用するために線形の陣形を取ることもあったともいう 。テルシオが取りうる隊形はほぼ無限に存在し、16世紀から使用されていた斉射戦術と組み合わせることで絶大な威力を発揮することができたとされる。
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