戦闘開始直前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 11:20 UTC 版)
「第二次上海事変」の記事における「戦闘開始直前の状況」の解説
8月11日、日本は、保安隊の撤退と防備施設の撤去を要請したが、南京の軍事委員会は張治中に対し、所属の87師長王敬久と88師長孫元良の部隊を蘇州から上海包囲線へ推進するよう命じ、呉松と上海に駐留する日本軍の掃討を準備し、その拠点の排除を目論んだ。蔣は、日本軍艦が上海周辺海域に集中していることを知り、呉沿口を封鎖することを決め、中国海軍は揚子江の江陰水域を封鎖した。 張は、「午前2時、急 南京、委員長蔣、部長何鈞鑑:1120密。本軍は、淞滬間の日軍を掃討する目的の貫徹に従った。すなわち十一日夜に準備しておいた列車と自動車で現有の軍隊を輸送し、重点を江湾、彭整 (彭浦) 付近に置いて、敵に猛攻を加え、敵軍の根拠地に進攻、占領して殲滅するつもりである。(以下略)。」との電文を発し、部隊を上海包囲攻撃線へ進め、江湾・彭浦(中国語版)に重点的に配備した。 日本軍は、上海陸戦隊2200、漢口から引き揚げてきた特別陸戦隊300、呉と佐世保から送られた特別陸戦隊1200、出雲の陸戦隊200、他320の計4千人あまりであった。このため、日本領事は国際委員会を再び招集し、中国軍の撤退を要求した。しかし上海市長は中国は既に侵略をうけているとの声明を発表し、最後に喩市長は、中国軍は攻撃されない限りは攻撃しないと、中国政府として認められるのはせいぜいそれぐらいだと断言した。一方、日本は上海近辺での中国の派兵の全ての責任は中国側にあるとした。午後5時50分、日本海軍の第3艦隊が軍令部に、陸軍派兵を要請する電報を打った。午後8時40分、「動員が下されても到着まで2週間かかる。なるべく戦闘正面を拡大しないように」という電報が東京から返ってきた。
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