中国側
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 08:15 UTC 版)
1534年、明の第十一任琉球冊封使・陳侃(ちんかん)は尖閣諸島を調査し、「使琉球錄」で「釣魚嶼」と命名した。 1562年、浙江提督・胡宗憲および幕僚の鄭若曽も『籌海圖編(ちゅうかいずへん)』で「釣魚嶼」を記載した。 その後、歴代の中国君主は中国の領土に釣魚嶼を含めた。たとえば、清の乾隆帝は釣魚嶼が「大清一統志」で言及されるべきであることを命じた。 中華人民共和国で1969年に発行された公式地図に、尖閣諸島が日本名で「尖閣群島」と表記されており、尖閣諸島の西端に位置する「魚釣島」の名前も日本名で明記されている。人民日報でも昔は尖閣列島と言っており、領有権を唱えるまで日本(沖縄県石垣市)の領土と認識していた。 中華人民共和国は1971年12月の外交部声明で公式に領有権を主張した。
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