中国側委員の退席とは? わかりやすく解説

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中国側委員の退席

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/07 19:53 UTC 版)

東方文化事業」の記事における「中国側委員の退席」の解説

この事業に対しては、当初からこれを「文化侵略」とし賠償金全額返還求め中国側世論反発強く、「東方文化事業委員会章程」は1926年7月になってようやく決定された。この「章程に基づき同年12月には「上海自然科学研究所」(正式な開所1931年)、翌1927年10月北京人文科学研究所」「(北京東方文化図書館」の設立それぞれ決定された(このうち東方文化図書館について結局実現には至らなかった)が、日本側委員による独善的運営目立ち中国側強く反発したとされる。さらに、1928年日本の山東出兵を発端済南事件が起こると、中国世論からの風当たりはますます厳しくなり、5月には中国側委員全員抗議辞職行った。また事業において一方パートナーだった北京政府北伐進展により瓦解し日本改め南京国民政府交渉相手としなければならなくなった。これらの結果日中共同での事業継続困難になり、特に中国側スタッフ多く依存していた北京人文研活動停滞することになった

※この「中国側委員の退席」の解説は、「東方文化事業」の解説の一部です。
「中国側委員の退席」を含む「東方文化事業」の記事については、「東方文化事業」の概要を参照ください。

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