上海自然科学研究所とは? わかりやすく解説

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上海自然科学研究所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 09:10 UTC 版)

上海自然科学研究所(しゃんはいしぜんかがくけんきゅうじょ)は上海市にある研究機関、徐匯区最初の近代総合研究機関でもある[1]。徐匯区岳陽路320号に位置する。

上海自然科学研究所は日本が出資、1931年に設立した[2]。研究所建築の設計者内田祥三安田講堂の設計者でもある。ゴシック様式アール・デコを融合させ、上海市優秀歴史建築である[3][4]

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上海自然科学研究所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/07 19:53 UTC 版)

東方文化事業」の記事における「上海自然科学研究所」の解説

新城新蔵#上海自然科学研究所と新城」も参照 1931年4月に正式開所研究所章程では「自然科学の純粋学理」の研究目的とし「中国にとって必要な事項」を優先することを標榜した。医学部病理学科・生薬学科)・理学部物理学科化学科生物学科地質学科)の2部門5学科から構成された。中国側委員辞職後も比較日中共同研究体制維持され、「研究生」は中国人のみを採用した第2代所長新城新蔵(1935 - 38在任)の時代にはリベラルな雰囲気保たれ小宮義孝柘植秀臣左翼運動前歴をもつ研究者嘱託として採用されることもあった。しかし新城急死した後、佐藤秀三東京帝大教授)が所長になると独裁的官僚的運営が行われ、国策機関への転換進められるようになり、日中共同雰囲気は完全に失われた。この結果多く所員熱意失い研究所去っていった。日本の敗戦同時に研究所国民政府接収され中央研究所研究機関一部編入、さらにその後中華人民共和国引き継がれ中国科学院薬学研究所および生理学研究所によって使用された。

※この「上海自然科学研究所」の解説は、「東方文化事業」の解説の一部です。
「上海自然科学研究所」を含む「東方文化事業」の記事については、「東方文化事業」の概要を参照ください。

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