北京人文科学研究所
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1927年10月に発足(総委員会臨時総会・第2回総会の決定)し、柯劭忞が総裁、服部宇之吉と(中国側)王樹柟が副総裁に就任した(柯の辞任後は服部副総裁が運営の中心となった)。主な事業は乾隆帝による『四庫全書提要』を補う『続修四庫全書提要』の編纂であり、そのため四庫全書から漏れた多くの古書籍の善本を蒐集し書目を選定した。提要は主として若手の中国人スタッフ(中国側委員が総辞職したため嘱託として採用)により執筆が続けられたが、日本の敗戦までついに完成を見なかった(原稿の一部は台湾に送られ戦後刊行された)。日本の敗戦後、北京人文研の蔵書はすべて中華民国政府に接収され、現在中国科学院の所有となっている。なお人文研と同時に設立が企画されていた「東方文化図書館」は、人文研の古書籍蒐集事業に解消され実現しなかった。
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