臨時総会
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中田監督は1933年(昭和8年)9月22日、聖書学院の五教授(車田秋次、米田豊、小原十三司、一宮政吉、土屋顕一)に自分の方針に従って教えることを求める書簡を送った。それは、ホーリネス教団の運営方針を伝道中心ではなく、キリストの再臨とユダヤ民族の回復のための祈りに専念すべきというものであった。 5人の教授らは、この主張を従来のホーリネスの伝統的教理を否定するものとして拒否した。そして、事の是非を問うために、臨時総会を招集した。中田は最初招集を認めたが、後にこれを取り消し、臨時総会を非合法と見なし10月19日付けで、車田、小原、一宮、土屋を解任した。 25日に淀橋教会で開催された臨時総会が開かれた。10月26日に信徒代議員酒井助作の発議によって中田の監督解職案が上程された。採決の結果、ほとんど全会一致で決議された。また、中田の前監督としての優遇を保障する付帯決議もなされた。 監督解職に伴い、それに変わる運営体制として、新しく委員会制度が設けられ、ホーリネス教会年則に付加させられた。それには『必要ありと認むる時は委員会を設けて監督職を代行す』と記されていた。そして、五人の委員を選ぶ選挙が行われ、委員会として、車田秋次、米田豊、小原十三司、一宮政吉、菅野鋭が選出され、以後この5人が指導者になった。 しかし、中田を支持していた者も半数近かったので、日本ホーリネス教会は中田側と委員側に分裂することになった。 10月27日、臨時総会夜、中田から委員に挨拶したいと電話をして、翌日に、淀橋教会で行われた委員側の教役者会に出席した。その場で、監督としてではなく、一福音使として挨拶すると言い、信仰上の相違で別れるのだから、握手して別れたいと述べて、代表して車田と握手をした。10月27日の夜に、5人の委員と鈴木仙之助の6名が、中田邸を訪れて、共に祈り敵意なく別れた。 しかし、後に中田は臨時総会の合法性を承認せず、監督解職の方法は間違いであると主張した。そして、メソジスト教会の憲法を適用して、監督審判法で自分の立場を弁明した。11月2日号の機関紙で、臨時総会の非合法性を訴えたが、訴訟のための法的手続きは採らず、中田側はこの件に関して沈黙する声明を発した。 11月9日号の機関紙の「聖潔の試金石」で、この事件によって聖潔が試されることを記し、「弁明」では監督として、堂々と意見を発表すること、妻が監督を操っているという風評への弁明、金銭に関する潔白を弁明した。 桜庭駒五郎は11月23日号で、「常置委員に注意を促す」と記して、臨時総会を非合法とした。これを、監督側と委員側の双方で数回にわたり、この件に関する声明が出された。 そのような両者の対立を象徴する出来事として神田事件が起こった。 ついに、中田前監督側は、中田を罷免した臨時総会を無効とする民事訴訟を起こし、分裂事件が泥沼化してしまった。 詳細は「神田事件 (ホーリネス)」を参照
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