米田豊
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米田 豊(よねだ ゆたか、1884年4月25日 - 1976年4月9日)は島根県松江市生まれの日本の牧師、神学校教師、聖書学者。戦前は日本ホーリネス教会、日本メソジスト教会牧師として活躍し、戦後は日本ホーリネス教団の指導者、元老として活躍した。
- ^ 『近代日本の民衆キリスト教』p.104
- ^ a b 山崎鷲夫(1988年)
- ^ 池上良正「ホーリネス・リバイバルとは何だったのか」(杉本良男編『キリスト教徒文明化の人類的研究』国立民族学博物館調査報告)2006年、65ページ、池上は、この文章は中田と米田達の距離が致命的になっていた証拠であるとしている。
- ^ 池上良正「ホーリネス・リバイバルとは何だったのか」64ページ、修養生が本を焼いた話を聞いた、中田あやめ監督夫人は「パパ(中田重治)『全き愛』は焼くことはなかった。米田先生の新約講解なら焼いてもかまわない。」と発言したと言われる。池上は、イスラエル問題で食い違いのある米田の本は焼いても良いと見なしたと見ている。
- ^ 山口幸子『ホーリネスの流れ』日本ホーリネス教団出版局、1999年
- ^ 日本ホーリネス教団側は、戦前の日本ホーリネス教団の再建であると主張している。しかし、他の団体(ホーリネスの群、基督兄弟団、基督聖協団)なども、正当性を主張している。
- ^ 菊地光一『天の故郷にあこがれて』山形ホーリネス教会、1998年
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