基督兄弟団
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基督兄弟団(きりすときょうだいだん)は、澤啓一が代表を務める日本の宗教法人である[1]。メノナイト系の「日本キリスト兄弟団(けいていだん)」とは別団体である。
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- 1 基督兄弟団とは
- 2 基督兄弟団の概要
基督兄弟団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/27 04:10 UTC 版)
1945年(昭和20年)11月30日に、元きよめ教会の牧師森五郎、田中敬止、斎藤源八、中田羽後が教団の設立の案内を郵送する。翌年1946年1月~3日、新年聖会を開催して、「基督兄弟団」の設立が決められる。2月14日に谷中を夫妻を含め、10教会が参加する。宗教法人法令に従って、名称を「基督兄弟団」として届け、登記を行う。谷中は教団本部で会計係を担当する。 1947年5月に第1回総会が森五郎が初代の主管になる。 1947年(昭和22年)秋には、茨城県美野里町羽島(現、小美玉市)に羽島聖書学院を設立する。
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基督兄弟団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/19 07:11 UTC 版)
1945年(昭和20年)11月30日に、元きよめ教会の牧師田中と森五郎、斎藤源八、中田羽後が教団の設立の案内を郵送する。翌年1946年1月~3日、新年聖会を開催して、「基督兄弟団」の設立が決められ、2月14日に10教会が参加して宗教法人法令に従って、「基督兄弟団」を届け登記を行う。1947年5月に第1回総会が森五郎が初代の主管になる。1947年(昭和22年)秋には、茨城県美野里町羽島(現、小美玉市)に羽島聖書学院を設立する。1958年(昭和33年)、森五郎、谷中廣美が基督兄弟団を離脱して基督聖協団を設立する。田中は基督兄弟団に残留する。 田中が神田教会の牧師の時に基督兄弟団の分裂が起きた。神田教会は分裂のために教会の土地を失う。そこで、100名あまりの信徒のために大久保教会を設立する。 翌年、1959年(昭和29年)に中田重治監督の没20周年とプロテスタント宣教100周年記念に際して、中田重治の伝記の刊行が企画され、牧師の森五郎と伊藤馨、信徒の川端京五郎と白根栄治らと共に発起人になる。それに、田中と車田秋次、野辺地天馬、米田勇、小原十三司、泉田精一らが発起人に加わり中田派の四つの団体の指導者により中田重治伝刊行委員会が結成される。 渡辺善太、阿部義宗、中田羽後が顧問になり、米田豊の息子の米田勇によって中田の伝記『中田重治伝』が執筆が依頼される。
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