日本プロテスタント聖書信仰同盟
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日本プロテスタント聖書信仰同盟(にほんプロテスタントせいしょしんこうどうめい、英語:Japan Protestant Conference、JPC)は、聖書信仰のクリスチャンの連絡機関で、日本福音同盟の三創立会員の一つ。
歴史
プロテスタントの宣教が開始されてから100年目にあたる1959年の日本宣教百周年記念聖書信仰運動大会が行われた。この年は宣教100周年を記念して、聖書信仰派とエキュメニカル派がそれぞれ別に集会をした。翌1960年2月、聖書信仰の運動の継続のため、日本プロテスタント聖書信仰同盟を発足した。
活動
全国で、聖書信仰の周知のためにセミナーを開催した。文書による活動では、機関紙『聖書信仰』を毎月発行した。また『現代と聖書信仰』、『なぜ聖書信仰が必要か』、『聖書信仰と日本の精神風土』『対話の中の聖書信仰』等の単行本も出版した。JPCの信仰を明確にするために尾山令仁の『聖書の権威』が発刊された。
聖書論論争を経て日本プロテスタント信仰同盟の総会が1987年2月5日に出した聖書の権威に関する宣言により、全的無誤性が福音派の合意として確認された[1][2]。
聖書翻訳特別委員会
堀川勇、松尾武を中心とする聖書翻訳特別委員会が設けられた。ここでは口語訳聖書とは別の翻訳の必要性が訴えられた。口語訳が自由主義神学の影響を受け、キリスト神性を否定する翻訳だったからである[3][4][5]。日本プロテスタント信仰同盟は日本聖書協会に代表を派遣し、説明と訂正を求めたが、日本聖書協会総主事都田恒太郎はこれに応じなかった[6][7]。この働きが新改訳聖書の発行に繋がった。
実行委員長
- 初代:常葉隆興(日本キリスト改革派教会)
- 第2代:蔦田二雄(イムマヌエル綜合伝道団)
- 第3代:尾山令仁(聖書キリスト教会)
- 第4代:泉田昭(日本バプテスト教会連合)
- 第5代:後藤茂光(日本福音キリスト教会連合)
脚注
参考文献
- 機関紙『聖書信仰』日本プロテスタント聖書信仰同盟
- 『聖書信仰』吉岡繁、著 宣教百年記念聖書信仰運動 1959年
- 『聖書の権威』尾山令仁著 日本プロテスタント聖書信仰同盟(再版:羊群社)
- 『聖書の教理』尾山令仁著 羊群社
- 『現代と聖書信仰』日本プロテスタント聖書信仰同盟
- 『今も生きておられる神』尾山令仁著プレイズ出版
- 『日本における福音派の歴史』中村敏 いのちのことば社
- 『日本の福音派』日本福音同盟 いのちのことば社
関連項目
日本プロテスタント聖書信仰同盟
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「日本宣教百年記念聖書信仰運動」の記事における「日本プロテスタント聖書信仰同盟」の解説
この運動は、宣教100年記念の年が終わった時に、日本プロテスタント聖書信仰同盟 (Japan Protestant Conference) として、一つの運動から組織体へと変貌した。運動であった期間、また、組織へと変容した時も、その中心的な役割を果たしたのが、日本キリスト改革派教会の岡田稔、イムマヌエル綜合伝道団の蔦田二雄などであった。聖書信仰同盟は、当時キリスト教会に大きな影響を与えていた破壊的聖書批評学 (Higher Criticism) に対抗して、聖書を「誤りなき神のことば」として受け入れ、聖書に従ったキリスト教信仰の理解と実践とを推進することを目的としていた。 後にこの団体は、日本福音同盟の再編成にあたり、他の2団体とともにその創設団体としての働きを果たし、発展的に団体の全国組織を解消した。その後も各地域で聖書信仰運動を継続し、聖書信仰を継承した。また、戦後の時点でエキュメニカル派(リベラル派)対、福音派(聖書信仰派)の比率が26対1であったものが、1990年の時点では5対5になっていた。聖書信仰は日本にしっかりと根付き、福音派は大きく羽ばたいたのである。
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