宗教右派
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アメリカ合衆国における宗教右派(しゅうきょううは、英語: Religious right)は、主にキリスト教を信仰する保守的勢力の総称である。対義語は宗教左派。 自分たちの保守的信仰理解と価値観とを政治に反映するために積極的に行動する人々ではあるが[2]、様々な党派があり、統一された思想がある訳ではない。ここでは、アメリカ合衆国[3]の宗教右派であるキリスト教右派(キリストきょううは、英語: Christian right)について触れる。
注釈
- ^ 飯山雅史によれば「「宗教右派」という言葉は…あいまいなメディア用語で、厳密な定義など存在しない。」(飯山(2008b)、p.180)。飯山(2008a)、p.347も参照。
- ^ 「宗教右派」の用語は、藤井(2004)、栗林(2005)、堀内(2006)、廣瀬(2007)、藤本(2007)、飯山(2008a)、藤本(2009)、堀内(2010)、堀内(2011)にて使用されている。
- ^ 山本貴裕は、「宗教右翼」という用語を、1980年代のアメリカ社会に出現する超保守派勢力の説明に使用しており、この範囲は「宗教右翼(Religious Right)」の出現によってさらに拡大されることになった。宗教右翼の代表的組織の一つであるモラル・マジョリティ(英語:Moral Majority)は、20年代のファンダメンタリズムの伝統に属する保守的プロテスタントを動員したとある(山本(2002)、p.133)。
- ^ 堀江洋文は、キリスト教原理主義者を扱う用語として「宗教右翼」は広義な印象を持つとし、「宗教右翼」の使用を避け「キリスト教右翼」の用語に統一している(堀江(2010)、p.1)。
- ^ 堀江洋文は、キリスト教原理主義者を中心に扱うことから、「キリスト教右翼」という用語を使用している(堀江(2010)、p.1)。
- ^ 「新宗教右翼」は、森孝一が、1980年代には、穏健な保守派に対する勢力となる超保守派の表現に使用していた(森(1987)、p.86)。
- ^ 蓮見博昭によると、福音派にファンダメンタリストを含むものとしている(蓮見(1996)、pp.4-5)。
- ^ 片山紀子によると、バイブル・ベルトという名称について曖昧があるという。例えばファンダメンタリストの基準、ファンダメンタリストの流れにあるブラック宗教の位置づけ、報告されていない信者等の問題があるという(片山(2000)、p.123)。
- ^ 進化論論争や、公民権運動、学校での祈祷、人工中絶問題などがあげられる。運動を参照。
- ^ 片山紀子は、論文では、キリスト教原理主義(ファンダメンタリスト)を「Protestant Fundamentalist」と表記している(片山(2000)、pp.117-118)。
- ^ 出典:Pew Research Center, “The 2004 Political Landscape”, Nov. 5, 2003(飯山(2008a))
- ^ 出典:Pew Research Center, “The 2004 Political Landscape”, Nov. 5, 2003(飯山(2008a))
- ^ 主流派の聖職者(ジェシー・ジャクソンやマーティン・ルーサー・キング)によるロビー活動、議会での証言、市民的不服従などから、大きな刺激をキリスト教原理主義者たちが受けたという(堀内(2006)、p.54)
- ^ ジミー・カーター大統領は「ボーン・アゲイン」の福音派として知られているという(堀内(2006)、p.54)
- ^ ニュー・ライトとは、政界で勢力を伸ばてきた白人の福音派や原理主義の諸教派の集団であるという(宇田川(1994)、p.15)
- ^ モラル・マジョリティのファルウェルは、宗教的に不寛容で、原理主義者を対象とし、カトリック、ペンテコステ派、主流派などの信徒を除外していたため、連携が限られたという(Rozzell and Wolcox(1996)、堀内(2006))。
- ^ 森孝一によると、サンディニスタ政権の宗教弾圧について、当時のニカラグア・アメリカ大使はキリスト教会は危険ではないとの発言、サンディニスタ革命後の5年間にキリスト教会は2倍の3,000の増加から、宗教弾圧はなかったともいう(森(1992)、p.157)。
- ^ 山本(2008)によると、 スタンフォード大学の動物学教授ヴァ―ノン・ケロッグ(Vernon Kellog)がリベラル派の政治雑誌『ニュー・リパブリック』にて進化の「起因」の問題を指摘しているという(1923年4月11日発行の『ニュー・リパブリック』の記事「Where Evolution Stands Today」)。
- ^ 「シェアード・タイム・プログラム」とは、カトリック教会学校と公立学校が協力して、前者の在学生が一般科目は公立学校で受け、宗教科目は自らの学校で受けるというプログラムという(葉山(1992)、p.126)
出典
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宗教右派
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「アメリカ合衆国の保守主義」の記事における「宗教右派」の解説
詳細は「キリスト教右派」を参照 1950年代までに保守派はおその価値観にユダヤ・キリスト教の根源を強調するようになっていた。ゴールドウォーターは、保守主義者が「人が動物を使い処分するために生産し消費するという共産主義者の考え方は、共和国の拠って立つ基盤であるユダヤ・キリスト教の理解全てとは正反対であると考えている」と述べていた。ロナルド・レーガンは共産主義と戦うためにユダヤ・キリスト教の価値観は必要な要素であると強調することが多かった。西洋のユダヤ・キリスト教伝統の優越性に関する信仰が、保守派をして第三世界の願望を軽視させ、海外援助の価値を過小評価させた。1990年代以降、「ユダヤ・キリスト教」という言葉は主に保守派が使うようになった。 福音主義会派は1920年代に政治に絡むようになり、禁酒の強制や学校で進化論を教えることを止めさせたりしたが、1930年代以降の大半は政治的に沈黙に近かった。政治力としてまた保守合同の一部として「宗教右派」が出現したのは、1970年代以降のことであり、教育の宗教からの分離の動き、および最高裁判所による学校での礼拝や人工中絶に関する裁定が出たことへの反応だった。ウィルコックスとロビンソンに拠れば、「キリスト教右派」は道徳的に後退していた国にユダヤ・キリスト教の価値観を再生させる試みである。...社会はユダヤ・キリスト教の価値観の確固たる基盤が失われたことに苦しんでいると考え、それら価値観を体現する法を作りたいと考えた。特に重要なことは、最高裁判所による人工中絶を合法と判断した「ロー対ウェイド事件」判決に対する敵対的反応であり、カトリック教会(以前から人工中絶に反対していた)と福音主義プロテスタント会派(人工中絶問題に関しては新参だった)を共闘させた。 カトリック教会がゲイの養父母について、またその他社会問題について反対したために、カトリック教会司祭が州の予算を取れなくなったことへの怒りについて、「ニューヨーク・タイムズ」は2011年後半に次のように論評した。 宗教的なアメリカ人が現在政府が後援する迫害の犠牲になっているという概念は、カトリックの司祭だけでなく、共和党の大統領候補や保守的な福音主義会派にとっても繰り返される話題となっている。
※この「宗教右派」の解説は、「アメリカ合衆国の保守主義」の解説の一部です。
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