大統領選以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 23:16 UTC 版)
「バリー・ゴールドウォーター」の記事における「大統領選以後」の解説
ゴールドウォーターは、現代アメリカの保守主義運動の象徴にまつりあげられ、その流れはロナルド・レーガンに引き継がれた。さらに経済的自由を強調し、政府の個人の問題に対する介入に強く反対する姿勢から、彼はリバタリアンの先駆者とみなされている。ただ、ベトナムに核兵器使用という外国介入路線は、リバタリアンの外国不介入の思想からは外れている。また60年代以後、リチャード・ニクソンやロナルド・レーガンといった政治家は、伝統的価値観の尊重を従来より強く打ち出し、全米の白人層全般にアピールした。ニクソンらによる共和党の南部戦略は、人種平等に反発する保守的白人の票を取り込み、彼らにとって不利な新自由主義の政策の欠点から、目をそらさせるものだった。 一方、レーガン政権が誕生すると、政権を支える一つの有力勢力として宗教右派などのキリスト教原理主義者が台頭した。彼らは共和党の票田だったが、ゴールドウォーターはこの新しい右派勢力のゲイ反対・中絶反対などの意見に強い反発を示した。彼の孫のタイ・ロスがゲイであったことも、その理由の一つであろう。タイ・ロスはゲイであることをカミング・アウトし、HIVポシティブ(ヒト免疫不全ウィルス感染者)であることも公表した。レーガンは宗教右派や道徳多数派(モラル・マジョリティー)を大事にし、軍拡路線を歩んだ。レーガンが宗教右派と一体化しても、ゴールドウォーターがレーガンとの親しい友人関係を解消することはなかった。 上院では情報委員長(1981年 - 1985年)、軍事委員長(1985年 - 1987年)を歴任した。1986年には文民としては最高の栄誉である、大統領自由勲章を授けられた。1987年に上院議員を引退した。 1990年代以降は、宗教右派などが仕切る共和党の中で異質な意見を持つ人物として注目された。例えば、1993年にクリントン政権下で軍隊内での同性愛行為を禁じると同時に、兵士が同性愛者であることをみずから公表しない限りは、軍当局は兵士の性的指向を捜査しないことを定めた、通称「ドント・アスク、ドント・テル」法が制定された際に、多くの共和党員が反対する中、「別に兵士が同性愛者でも構わない」という姿勢をとった。 1996年に大規模な脳卒中を患って以降、ゴールドウォーターは表舞台から姿を消した。ゴールドウォーターの家族は彼がアルツハイマー病の初期段階にあった事を公表している。その後、1998年5月29日、長年に渡って住んでいたアリゾナ州パラダイス・ヴァレーの自宅で脳卒中の合併症により89歳でその生涯に幕を下ろした。葬儀の後、ゴールドウォーターの遺灰は同地のキリスト昇天教会に埋葬されている。 ジョン・マケイン上院議員はゴールドウォーター引退後の議席を引き継ぎ、その後継者を自認している。
※この「大統領選以後」の解説は、「バリー・ゴールドウォーター」の解説の一部です。
「大統領選以後」を含む「バリー・ゴールドウォーター」の記事については、「バリー・ゴールドウォーター」の概要を参照ください。
- 大統領選以後のページへのリンク