大統領選への挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 17:41 UTC 版)
「ネルソン・ロックフェラー」の記事における「大統領選への挑戦」の解説
しかしながら、ロックフェラーの最大の目標はアメリカ合衆国大統領に就任することであった。この目標のために彼は1960年、1964年、1968年の三度にわたって共和党の大統領候補指名を模索した。だが、1960年には現職副大統領にして最有力候補のリチャード・ニクソンが指名を獲得した。 1964年には最有力候補と看做されるが、彼自身の離婚問題もあってバリー・ゴールドウォーター上院議員との激しい指名争いの末、指名獲得に失敗した。1964年の指名争いは、西部を基盤とする保守派のゴールドウォーターが、東部を基盤とする代表である穏健派のロックフェラーを破ったことで、共和党内の主導権が、東部基盤の穏健派から西部(後に南部も加わる)基盤の保守派へ移る契機となったと一般に考えられている。 1968年には一度不出馬及びジョージ・ロムニーミシガン州知事の支持を表明したロックフェラーだが、キング牧師の暗殺を契機に出馬表明をした。だが、再びニクソンの前に敗れた。1968年の大統領選挙で、ヴェトナム反戦、即時撤退を訴える多くの候補者が脚光を浴びた。ユージーン・マッカーシー、ロバート・ケネディ両上院議員はその代表格である。しかし、反共主義者でもあったロックフェラーは一切戦争への反対を訴えず、北ヴェトナム、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)との交渉のみを訴えた。
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