大統領選とその後
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2008年11月4日に行われた2008年アメリカ合衆国大統領選挙では、民主党のバラク・オバマ大統領候補とバイデン副大統領候補の前に敗北。「選挙戦敗退の戦犯」と批判する声も沸きあがったが、12月1日には勝敗が確定していなかったジョージア州上院選の応援に駆けつけ、サックスビー・シャンブリス上院議員を再選へと導いた。 2009年7月3日ペイリンはアラスカ州知事の辞任を表明し、同月26日正式に知事を辞任した。2012年の大統領選に出馬するため、政治活動を展開しながら大統領選に向けての準備のため、辞任をしたと思われる。次期大統領選の共和党指名に関しては、ペイリンの他、前回の選挙戦で善戦したミット・ロムニー、マイク・ハッカビーらと三つ巴の様相を呈している。また、2009年11月には自身の回顧録を出版、150万部のベストセラーを記録した。 2010年2月4日のティーパーティー最初の全国大会で基調演説を行い、以後、運動の広告塔を務めている。第三回ティーパーティーエクスプレスでもネバダ州でのオープニング集会に招かれ、先頭にたった。現在、草の根保守派のアイドル的存在で、反オバマの急先鋒の一人として、メディアへの露出も増えている。ニューヨークグラウンド・ゼロでのモスク建設にも反対していた。 2010年11月14日、TLC局は「サラ・ペイリンのアラスカ」という同州内を旅するペイリン氏と家族を追いかけるリアリティ番組を開始した。番組は日曜夜の放送で8週間続き、最終回が放送される翌年1月中旬は、ちょうど大統領選出馬を検討する共和党議員が決断を下す時期でもあるため、2012年大統領選挙への下準備かと噂された。 2011年1月8日、アリゾナ州ツーソンで、ガブリエル・ギフォーズ連邦下院議員が銃撃を受け、議員は重傷、9歳の女の子が死亡するという事件が起きる(2011年ツーソン銃撃事件)。後述のとおり、ペイリンは民主党議員の選挙区をライフルマークで示すウェブページをアップしていたほか、事件に関して不適切な発言を繰り返す等したため人気が急落する。加えて支持基盤であるティーパーティー運動も、2010年の中間選挙以後退潮を見せていた。 2011年10月5日、ペイリンは、2012年大統領選挙に出馬しないことを宣言した。 2016年1月19日、2016年大統領選挙で実業家ドナルド・トランプへの支持を表明した。ペイリンはトランプが大統領に当選した場合にエネルギー長官として政権入りすることを目指している。
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