大統領退任後と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:20 UTC 版)
ウィキニュースに関連記事があります。訃報 金大中氏 - 元韓国大統領 退任後は政界を引退した。延世大学校付属の金大中図書館設立に携わるなど政治とは距離を置き、研究生活を送った。 2006年6月に北朝鮮を訪問する予定であったが、北朝鮮のテポドン発射問題によって取り消された。 2008年11月27日に、民主労働党指導部に対して「民主労働党・民主党・市民社会団体がしっかりと手を組んで広範囲の民主連合を結成し、逆走を阻止する闘争をすれば必ず成功するはずだ。李明博政府の非核・開放3000政策は失敗した米ブッシュ政権の政策である」と述べた。 2009年7月13日に三たび持病の肺炎を患う。同年8月18日にソウル市内の延世大学校医療院セブランス病院で、多臓器不全により、死去。83歳だった。また、盧武鉉の死去(同年5月23日)と同じく、韓国の大手サイト(ネイバー、ダウム、ネート、Yahoo!、Google、MSN)では、トップのロゴを白黒に差し替え、特設ページも設けた。太陽政策を推し進めた大統領経験者が4か月足らずで相次いで死去したことになる。 日本政府は、金大中の死去に際し、麻生太郎内閣総理大臣(当時)名の追悼談話を発表した。 2009年8月23日、ソウル市の国会議事堂前広場にて、韓国史上2人目の国葬に処された。 盧武鉉が2009年5月23日に亡くなった際には、金大中は「私の体の半分が崩れたような気持ちだ」と語った。盧武鉉の死後、自身の死去(2009年8月18日)の約2か月前に、文在寅・朴智元・丁世均・安熙正らを呼び、「必ず政権交代を果たしてほしい。私は年老いて病気で先が長くない。あなたたちがしなければならない」と言い遺していた。この金大中の「遺言」を受けて文在寅は政界入りを決意し、8年後の2017年5月9日の大統領選挙に当選して第19代大統領に就任した。安熙正は翌2010年6月の全国同時地方選挙の忠清南道知事選挙に出馬し、当選した(2014年6月の全国同時地方選挙で再選)。朴智元は2016年の朴槿恵の大統領弾劾の際に、野党第二党(当時)の国民の党の院内代表兼非常対策委員長として国会での弾劾訴追案の可決に尽力した。丁世均は朴槿恵の弾劾訴追案議決の際に国会議長であった。
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