大統領辞職後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 21:01 UTC 版)
「パルヴェーズ・ムシャラフ」の記事における「大統領辞職後」の解説
ブットー暗殺事件に関してはパキスタン当局が事情聴取を求めたが応じなかったとされ、2011年2月12日に拘束令状が出された。2013年3月に逮捕猶予を認められたために帰国し、パキスタン総選挙で国政復帰を目指したが、立候補申請が認められなかった。 さらに2013年4月18日には、イスラマバードの高等裁判所から2007年に最高裁長官らを不法に解任、拘束した疑いで警察に逮捕命令が出され、翌19日逮捕された。2014年3月に国家反逆罪で起訴されたが闘う姿勢を示した。病気療養のため2016年からはドバイに滞在し、事実上の亡命生活に入った。2017年7月には日本のマスコミの取材を受け、写真撮影にも応じている。2019年12月17日、大統領時代の2007年に憲法を停止したことが国家反逆罪にあたるとし、本人は亡命中で不在のまま死刑判決を言い渡された。しかしこの裁判が法に則って行われなかったことを理由に、2020年1月13日、ラホールの高等裁判所は死刑判決を破棄し、裁判をやり直すよう命じた。
※この「大統領辞職後」の解説は、「パルヴェーズ・ムシャラフ」の解説の一部です。
「大統領辞職後」を含む「パルヴェーズ・ムシャラフ」の記事については、「パルヴェーズ・ムシャラフ」の概要を参照ください。
- 大統領辞職後のページへのリンク