大統領評議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 01:54 UTC 版)
「ジェリコ・コムシッチ」の記事における「大統領評議会」の解説
2006年の総選挙で、コムシッチはSDPからクロアチア人大統領に立候補した。結果、投票総数の39.6%にあたる11万6062票を獲得し、クロアチア民主同盟 (HDZ) のイヴォ・ミロ・ヨヴィッチ (26.1%) 、クロアチア民主連合1990 (HDZ 1990) のボジョ・リュビッチ (18.2%) 、労働と向上のための人民党 (NSRB) のムラデン・イヴァンコヴィッチ=リヤノヴィッチ (8.5%) 、クロアチア人の権利党 (HSP) のズヴォンコ・ユリシッチ (6.9%) 、イレナ・ヤヴォル=コリェニッチ (0.7%) を押さえて当選、10月1日に就任した。HDZの分裂により、ボシュニャク票の多数がコムシッチに流れたことが彼の勝利につながった[要出典]。ほとんどボシュニャク人によって選ばれたことから、クロアチア人は彼を不正な代表とみている。 大統領評議会のボシュニャク人代表であるハリス・シラジッチは2008年5月、訪問先のワシントンD.C.で、「ボスニア・ヘルツェゴビナにはひとつの言語しか存在せず、それに三つの名前があるだけだ」と述べた。この声明は、クロアチア人政党やスルプスカ共和国のミロラド・ドディク(英語版)首相から否定的に受け止められた。コムシッチはこれに対して、彼はそのようなことをいう立場にはないと反論した。 2010年に国立民主研究所が行った調査によると、ボシュニャク人の間で最も人気のある政治家はコムシッチである。同年の総選挙でも全体の60.6%の33万7065票を獲得し、HDZのボリャナ・クリシュト (19.7%) 、クロアチア連合 (HK) のマルティン・ラグジュ (10.8%) 、NSRBのイェルコ・イヴァンコヴィッチ=リヤノヴィッチ (8.1%) 、ペロ・ガリッチ (0.3%) 、ミレ・クトレ (0.2%) 、フェルド・ガリッチ (0.2%) を下して再選を果たした。
※この「大統領評議会」の解説は、「ジェリコ・コムシッチ」の解説の一部です。
「大統領評議会」を含む「ジェリコ・コムシッチ」の記事については、「ジェリコ・コムシッチ」の概要を参照ください。
- 大統領評議会のページへのリンク