NATOおよびEUへの加盟構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:06 UTC 版)
「ボスニア・ヘルツェゴビナ」の記事における「NATOおよびEUへの加盟構想」の解説
ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年5月22日に国際連合に加盟したが、その後の民族対立、内戦は悲惨であった。民族対立は完全に解消されたわけではないが、「欧州大西洋機構への統合」、即ち欧州連合(EU)及び北大西洋条約機構(NATO)加盟が民族を超えた共通の目的であり、ボスニア政府はこの目標に向かって国際社会の支援を得ながら諸改革に取り組んでいる。 2000年12月、ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビア連邦共和国との間で正式な外交関係を樹立した。また警察改革や公共放送法の採択で進展があったため、EUは2005年11月7日に安定化・連合協定締結交渉の開始を承認した。なお、EU加盟は3民族の共通目標とされており、ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗にもそれが現れている。 2016年2月、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府はEUへの正式な加盟申請を行った。ベルギーのブリュッセルにおいて、ボスニア・ヘルツェゴビナのドラガン・チョヴィッチ大統領評議会(幹部会)議長が、EU議長国オランダのクーンデルス外相に対して、申請の文書を手渡した。 「ボスニア・ヘルツェゴビナの政治的分裂(英語版)」も参照 ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領評議会 ボスニア・ヘルツェゴビナの政党一覧
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