進化論
「進化論」とは、「生物は年月を経て原始生物から現在の姿へと進化してきた」とする考え方のことである。具体的な説としては、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」などで提唱した「自然淘汰(自然選択説)」などがよく知られる。
進化論の考え方そのものは、ダーウィンが初めて唱えたというわけではない。古代にすでに同種の発想を唱えた者がいる。ダーウィンの同時代人であるラマルクやド・フリースも、ダーウィンと並ぶ重要な考え方を提唱し、今日までその名が知られている。
「進化論」の概要
「進化論」は「生物は進化する」という考え方であり、裏を返せば「生物は不変な存在ではない」ということである。つまり、生物が現在の形でそのまま創造されたとする神話的な見方を否定する科学観である。近代的な「進化論」は、キリスト教における考え方と客観的なデータとの間に矛盾が見出されることを指摘する形で発展した。この「近代的な進化論」の代表的な論者はフランスのラマルクである。ラマルクは1801年に出された著書の中で、用不用の説と獲得形質の遺伝というアイデアを発表した。彼の考えは斬新なものであったが、根拠が薄弱であったため広く受け入れられるには至らなかった。
今日における「進化論」は、ダーウィンの唱えた進化論の影響を最も大きく受けているとされる。ダーウィンの「進化論」は、旧来の進化論が抱えていた矛盾を解消し、エビデンス(証拠)を明示しつつ学説を発表したことで、学会にも認められるようになった。ダーウィンは、「環境により適応することができた種が生き残れる」とする立場をとった。これは「自然淘汰説」とも呼ばれる。自然淘汰説は、キリンの首が長いことや、シマウマが縞模様であることなどを説明できる。
しんか‐ろん〔シンクワ‐〕【進化論】
進化論
進化論
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ルイ・パスツールの実験により、生物は自然に誕生するという自然発生説が完全に否定され、「全ての細胞は細胞から生じる」ことが理解された。自然発生説の否定は進化論とも関連し、生物学に生命の起原という新たな問題を提起した。生物多様性と系統分類について考察したチャールズ・ダーウィンが『種の起源』で提唱した進化と種分化いう概念は、現代生物学の前提となっており、生物学以外の多くの分野にも影響を及ぼしている。
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進化論
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「ヘンリー・ウォルター・ベイツ」の記事における「進化論」の解説
ベイツはフッカーやフリッツ・ミューラー(ミューラー型擬態の発見者)、ハクスリーらとともに、ウォレスとダーウィンの自然選択による進化論を支えた著名な博物学者の一人であった。 1855年にマレー諸島で標本採集を行っていたウォレスが進化についての考察を博物学会に報告すると、ベイツはそれに賛意を示した。また1858年にはウォレスがダーウィンと進化について意見を交わしたことをベイツに知らせたときも同様の返事を送っている。1859年にダーウィンが『種の起源』を著すと、翌1860年にベイツはそれを支持する手紙をダーウィンに送ったようで、ベイツの支持に感謝するダーウィンの返信が残っている。 1861年に昆虫学会に擬態についての報告を行った。「擬態のもたらす利益は明らかであるが、それ以上に意味深淵なのは、擬態の由来についてであり、それは種の起源と同じ意味を持つだろう」と述べ、アマゾンでの観察に基づいて自然選択を全面的に支持した。また同じ種でありながらそれぞれ異なる種に擬態を行うチョウが地域ごとに断続的に見られることを、中間的な模様を持つ個体は捕食され、目に付かないのであり自然選択を同時に(空間的に)見ているのだろうと述べた。 1862年に唯一の著書『アマゾン河の博物学者』を出版した。これはダーウィンが出版を勧め、出版社の仲介と推敲を請け負っている。またこの頃ウォレスとともにダーウィンをダウンに訪ね、ライエルらの知己を得た。 ベイツはダーウィンが主張した更新世の「赤道の冷却」説には反対していた。ダーウィンはベイツの反論に反駁できないことをフッカーに対しては認めている。ベイツはその後もダーウィンに資料を提供し続け、ダーウィンは『人間の由来と性選択』でベイツへ賛辞を送った。
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進化論
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進化生物学者のリチャード・ドーキンスは一般向けの著書『盲目の時計職人』(1986年)の中で、自然淘汰にはランダムな突然変異から生物学的な複雑性を生み出す能力があるということを猿のタイピングの常套句で大衆に分かりやすく説明した。 ドーキンスが述べたシミュレーション実験では簡単なコンピュータプログラムを使う。このプログラムは、ランダムに打ち出される語句のうちすでに目的のテクストと一致した部分は固定していくことにより、ハムレットの台詞 “METHINKS IT IS LIKE A WEASEL”(「おれにはイタチのようにも見えるがな」〔小田島雄志訳〕)を生成する。この実験の要点は、ランダムな文字列の生成は生の材料を提供するだけであり、自然淘汰こそが情報を与える役割を担っている、という点である。 この他にも、猿が一度にひとつの文字しか打たず、それぞれの文字が連関していない、という問題点に依拠して、進化と無限の猿の間に類推は成立しない、とする意見がある。ヒュー・ペトリー(英語版)は、着想の深化(彼の議論では、生物の進化ではないことに注意)を考える場合、ランダムな生成ではなくより複雑な設定での生成を想定する必要があると説いた。 類推を的を射たものにするには、猿にもっと複雑なタイプライターをあてがってやらねばなるまい。それは、エリザベス朝時代人の文章力と思考力すべてを備えている必要がある。人間の行動形態とその動因に関するエリザベス朝時代人の信念すべて、エリザベス朝時代人の道徳観や科学観、それに、これらを表現する言語の様式、といったものを備えていなければならない。さらには、特定のエリザベス朝時代人としてのシェイクスピアの信念体系を形づくった種々の経験についても考慮しなければならない。このようなタイプライターなら、猿に使わせて種々の異本を作り出させてもよいであろう。しかしもはや、シェイクスピア風の戯曲を獲得することが不可能であるかどうかは、明らかとはいえない。異なっているところは実は、これまでに集積した膨大な知識を要約するとそうなるというだけなのだから。 — ジェームズ・W・バレンタイン(英語版)も、古典的な意味では猿は務めを果たすことはできないと認める。しかし彼は、後生動物ゲノムを英語の書き言葉の類推で説明しており、どちらにも「組合せ論的、階層的な構造」があるため、莫大な数のアルファベットの組合せのうちごく一部だけが許されているとする。。
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進化論
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「ジャン=バティスト・ラマルク」の記事における「進化論」の解説
ラマルクは、現在では普通、獲得形質の遺伝という不名誉な遺伝の法則に関わって思い出されるだろうが、チャールズ・ダーウィンやそういった人達は、彼のことを進化論の初期の提唱者として知っている。例えば、ダーウィンは1861年にこう書いている。 「ラマルクは、この分野での説が多大な関心の的となった最初の人物である。この正に祝福されるべき博物学者は、彼の考えを1801年に初めて出版した。…彼は無機的世界だけでなく、生物の世界でもあらゆる物が変化する可能性があり、そこに奇跡が絡む訳ではない事に対し、初めて注意を喚起したという点で、偉大な貢献をした。」 ラマルクは自然発生説を信じていた。このことが彼の進化論に決定的な意味を持っていた。彼は最古に発生した生物が現在もっとも進化した生物であると考えていたのである。彼の進化論はその信念との整合性のためのものである。 彼は個々の個体がその生涯に応じて体を変化させ、変化の一部がその個体の子孫に継承されることで生物は進化していくと考えた。子孫はその親より進んだ位置から一生を始められるから、有利な方向へ進化する事が出来る。適応の生じる機構としては、彼は、個々の個体がその種の能力をよく使う事でそれを増加させ、またある物を使わない事でそれを失うと説いた。進化に関するこの考えは、全てが彼独自のものではないが、彼はダーウィン以前の進化論の責任を一人で背負い込む形となっている。 ラマルクは、2つの法則をまとめている。 発達の限界を超えていない動物であれば、如何なるものでも、頻繁かつ持続的に使用する器官は、次第に強壮に、より発達し、より大きくなり、その力はその器官を使用した時間の比率による。これに対して、いかなる器官でも、恒常的な不使用は、僅かずつ弱々しくなり、良くなくなり、次第にその機能上の能力がなくなって、時には消失する場合もある。 それぞれの個体で、自然に獲得したものや失ったものの全ては、それがその品種が長い間置かれていた環境の影響によるものであっても、そしてそこから生じた特定器官の優先的な使用や恒常的な不使用の影響によるものであっても、獲得された形質が両性に共通であるか、少なくとも子供を作る個体に共通ならば、それらは、その個体の生殖による新しい個体に保持される。そしてある個体が獲得した形質は、次第に同種の他の個体にも共有される。 1つ目の法則が「用不用説」の用不用の部分に、2番目の法則が「獲得形質の遺伝」にあたる。この二つの仮説と前述の自然発生説によって、同時代に様々な発展段階の生物があることを説明しようと試みた。 ラマルクは、そのような世代の継承を、前進的なものであると見なし、それにより、単純な生物がより複雑で、ある意味で完全なものへと、時間をかけて(彼のいう仕組みによって)変化するのであると考えた。彼はこのように目的論的(目的に方向を定めた)過程を、生物が進化によって完全なものに成る間に経ると信じていた。彼はその生涯、論争を続けた。古生物学者のジョルジュ・キュビエの反進化論的意見に対する彼の批判の為には孤独である事を厭わなかった。 今西錦司はラマルクの議論の中に中立的な形質についての議論が欠けていることから批判的だが、獲得形質が同種他個体によって共有されていくという議論をさして、集団遺伝学の萌芽ではないかと指摘した。
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「進化論」の例文・使い方・用例・文例
- ダーウィンの進化論
- ダーウィンが進化論を考え出した
- 彼らはダーウィンの進化論に反対した。
- 進化論は私の想像できる範囲を超えている。
- 私達はダーウィンという名前を聞くと進化論を連想する。
- ダーウィンの進化論を学びましたか。
- このことを背景知識として、ここで進化論生物学の現状についての考察に移ろう。
- 我々はダーウィンといえば進化論を想像する。
- 進化論.
- 彼女は最新の進化論を子供にも分かるように砕いて説明してくれた.
- 進化論は全キリスト教国に大きな波紋を投げかけた.
- Darwin は Maurice に先んじて進化論を世に出した
- 宇宙進化論
- 進化論
- 進化論者
- ジョン・トーマス・スコープスが高校で進化論を教えることによりテネシー州法を犯した1925年の大々的に放送された裁判
- 私たちは新しい進化論を開発した
- 宇宙の起源に関する宇宙進化論の理論
- 化石は進化論をより一層裏づけた
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