大浦天主堂とは? わかりやすく解説

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おおうら‐てんしゅどう〔おほうらテンシユダウ〕【大浦天主堂】


大浦天主堂

読み方:オオウラテンシュドウ(oouratenshudou)

江戸時代建造物1864年作。国宝


おおうらてんしゅどう 【大浦天主堂】


大浦天主堂(長崎県)


大浦天主堂

国宝のほかの用語一覧
近世以前(その他):  大浦天主堂  旧閑谷学校  本願寺北能舞台
近世以前(住宅):  三宝院唐門  二条城  光浄院客殿  勧学院客殿

大浦天主堂

作者木々高太郎

収載図書長崎ミステリー傑作選
出版社河出書房新社
刊行年月1987.5
シリーズ名河出文庫

収載図書光とその影・決闘
出版社講談社
刊行年月1997.11
シリーズ名講談社大衆文学


大浦天主堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 06:35 UTC 版)

大浦天主堂
大浦天主堂
情報
用途 教会
設計者 ルイ・テオドル・フューレベルナール・プティジャン、小山秀之進
構造形式 ゴシック様式
着工 1862年
竣工 1864年
開館開所 1865年2月19日
改築 1875-1879年
所在地 長崎県長崎市南山手町5-3
座標 北緯32度44分3.0秒 東経129度52分12.5秒 / 北緯32.734167度 東経129.870139度 / 32.734167; 129.870139 (大浦天主堂)座標: 北緯32度44分3.0秒 東経129度52分12.5秒 / 北緯32.734167度 東経129.870139度 / 32.734167; 129.870139 (大浦天主堂)
文化財 国宝
指定・登録等日 1933年1月23日:旧国宝(現行法の重要文化財に相当)指定
1953年3月31日:国宝(文化財保護法)指定
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カトリック大浦教会
大浦天主堂下に隣接する大浦教会堂
所在地 長崎県長崎市南山手町2-18
日本
教派 カトリック教会
歴史
創設日 1865年2月19日 (1865-02-19)
創設者 ベルナール・プティジャン
守護聖人 聖ヨハネ五島
初期守護聖人 日本二十六聖人
管轄
教区 カトリック長崎大司教区
教会管区 カトリック長崎教会管区
聖職者
大主教
(大司教)
ペトロ中村倫明
主任司祭 ミカエル大水文隆
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創建時の大浦天主堂
大浦天主堂(改修前)
天主堂内部

大浦天主堂(おおうら てんしゅどう)は、長崎県長崎市にあるカトリック教会堂である。江戸時代幕末開国後、1864年元治元年)に竣工した。日本に現存するキリスト教建築物としては最古である。1859年日本の開国とともに長崎に外国人居留地が作られ、その外国人信徒のために建設された。日本二十六聖人とゆかりの深い教会堂とされ、彼らの殉教地である長崎市西坂の方角をほぼ向いている。

1945年昭和20年)8月9日長崎市に対する原子爆弾投下では[1]、全壊を免れた。 1953年(昭和28年)、国宝に指定された。また、2007年平成19年)にユネスコ世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まり、2018年(平成30年)に登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財の1つである[2][3]2016年(平成28年)に日本初の小バシリカに指定された[4]

キリスト教の信仰の場であり、潜伏キリシタンの存在とその信仰を伝える場となっている[注釈 1]。同時に長崎有数の観光地でもあり、拝観は有料となっている。

観光客の増加に伴い、1975年(昭和50年)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われている。ただし毎年12月24日のクリスマスと3月17日の信徒発見の日のみ、大浦天主堂の聖堂内でミサが執り行われる[5]

建築概要

外観はゴシック様式で、中央に八角柱の尖塔を1つ備えている。建築設計はフューレ、プティジャンの2名によるもの。建築施工は天草御領島出身の小山秀之進が大工棟梁として施工[6]。建築様式は3本の塔を持つゴシック風の構造ながら、正面中央の壁面はバロック風で、外壁はなまこ壁という和洋折衷の意匠であった。なお、創建当時にあった側塔はほどなく大風で倒壊したとされている[7][8]。正確な時期や経緯は不明であるが、現存する古写真から明治以前に撤去されたことは確実だと考えられている[9]

その後1875年から1879年にかけて増築工事が行われている。外壁は創建当初の壁の外側に煉瓦塀を造り、白い漆喰で塗り固めたものになり、外観を完全にゴシック様式で統一するなど、創建当時の外観から大きくその姿を変えた[10][11]。木造だった創建時に対し、1879年(明治12年)5月22日に献堂された新教会堂は九州初の煉瓦造構造となった[12]

内観はリブ・ヴォールト天井で「こうもり天井」とも呼ばれている。施工者の小山秀之進が日本建築の技術を応用して西洋建築を再現したものとなっており、竹をしならせて局面を作り、土と漆喰で固めた構造となっている[13]。当初は三廊式であったが、改築時に間口を左右へと広げており、現在は五廊式となっている[8]

1862年まで司教座聖堂であったため内陣には司教座(司教または大司教が着座するための椅子)が設置されており[14]、現在でもミサが執り行われる際には使用されている[15]

歴史

信徒の発見と大浦天主堂

建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には「今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないか」という僅かな期待があった[要出典]

1865年3月17日元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた。そのうちの40 - 50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャンに近づき、「私どもは神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白した (この女性の名は、イザベリナ杉本百合[22]だったと言われている)。彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリシタンである事実を話し、プティジャン神父を喜ばせた[23]

その後、プティジャン神父は密かに浦上や五島などに布教を兼ねて訪れ、隠れた信者の発見に努めた。浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことがわかった。この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇ピオ9世のもとにもたらされた。教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという[24][25]。この日はカトリック教会では任意の記念日(祝日)となり、信徒発見150周年を迎えた2015年3月17日、日本の教会に固有の「日本の信徒発見の聖母」の祝日となった[26]

所在地

〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5-3

交通

坂道を上った後、券売所からさらに石段を上ることになる。バリアフリーではない。また、駐車場はない。

拝観料

敷地内に併設された「大浦天主堂キリシタン博物館」入場料込みで大人1000円、中高生400円、小学生300円となる[27]

周辺

脚注

注釈

  1. ^ 拝観の際には脱帽・静粛・(建物内)撮影禁止・禁煙となっており、その旨信徒発見記念の聖母像の下の看板に記載されている
  2. ^ 1863年3月11日文久3年1月22日)とも。
  3. ^ 日本二十六聖人殉教地(西坂公園)
  4. ^ 建築資金には、フランスのエウジェニ皇后やジュレス提督からの寄付もあった。『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、pp.80-81

出典

  1. ^ ATOMIC BOMB DAMAGE AND MEDICAL CARE OF VICTIMS”. www.archives.gov. アメリカ公文書館資料 (1946年). 2025年5月25日閲覧。(動画開始3分3~22秒。戦前の大浦天主堂)
  2. ^ “長崎、天草の「潜伏キリシタン」が世界文化遺産に決定 22件目”. 産経新聞. (2018年6月30日). https://www.sankei.com/article/20180630-KZXLQSC53BNLTO34UH3O2ZEDXE/ 2018年6月30日閲覧。 
  3. ^ “長崎と天草地方の「潜伏キリシタン」世界遺産に”. 読売新聞. (2018年6月30日). https://web.archive.org/web/20180630133218/http://www.yomiuri.co.jp/culture/20180630-OYT1T50066.html 2018年6月30日閲覧。 
  4. ^ 大浦天主堂、国内初のバジリカに カトリック新聞オンライン 2016年6月10日
  5. ^ ~教会でクリスマスのミサ&礼拝に授かる~”. 「ナガジン」発見!長崎の歩き方. 長崎市. 2025年6月18日閲覧。
  6. ^ 浦川、1945年昭和20年)、pp. 48ff。
  7. ^ 歴史的建造物誕⽣の秘密を探る 大浦天主堂[長崎県]|コベルコ建設機械ニュース(Vol.243)”. コベルコ建機 (2019年1月). 2025年6月18日閲覧。
  8. ^ a b わが国の洋風建築の黎明期を語る天主堂”. 長崎と天草地方のキリスト教関連歴史文化遺産群ウェブサイト. 長崎県文化振興·世界遺産課. 2025年6月18日閲覧。
  9. ^ 脇田安大『大浦天主堂物語』聖母の騎士社、2016年1月15日、84-85頁。ISBN 978-4-88216-366-4 
  10. ^ a b c パリ外国宣教会所蔵の大浦天主堂設計図面
  11. ^ 大浦天主堂の創建時設計図を仏で発見長崎新聞 2007年平成19年)9月6日
  12. ^ 太田静六『長崎の天主堂と九州・山口の西洋館』理工図書、1982年(昭和57年)。p. 144。
  13. ^ 長崎の丘に立つ教会”. 政府広報 (2020年11月). 2025年6月18日閲覧。
  14. ^ 拝観の順路”. 大浦天主堂公式サイト. 2025年7月3日閲覧。
  15. ^ 「信徒発見」から160年 長崎市の大浦天主堂で記念のミサ”. NHK長崎放送局 (2025年3月18日). 2025年7月3日閲覧。
  16. ^ 市制百年(1989年平成元年)4月1日長崎市役所
  17. ^ 1933年(昭和8年)1月23日文部省告示第14号。
  18. ^ NAGASAKI BURST”. www.archives.gov. NARA (1945年). 2025年5月25日閲覧。
  19. ^ 1953年(昭和28年)6月16日文化財保護委員会告示第65号。国宝の指定は3月31日付け。
  20. ^ 銀世界の歓迎集会 法王迎えて四万七千”. Hawai Hōchi (Honolulu, HI). pp. 01 (1981-02-026). 2025年5月25日閲覧。
  21. ^ 大浦天主堂の設計図を発見 幕末の創建時の姿伝える”. Hawai Hōchi (Honolulu, HI). pp. 04 (2007年8月27日). 2025年5月25日閲覧。
  22. ^ 日本人名大辞典+Plus, 朝日日本歴史人物事典,デジタル版. “杉本ゆり(すぎもと・ゆり)とは? 意味や使い方”. コトバンク. DIGITALIO. 2024年11月24日閲覧。
  23. ^ 浦川和三郎『浦上切支丹史』全国書房、1945年(昭和20年)。pp. 50ff, 63ff。1973年(昭和48年)に国書刊行会から復刻刊行。
  24. ^ Library : Pope Pius IX and Japan. The History of an Oriental Miracle”. www.catholicculture.org. 2024年11月24日閲覧。 “On January 8, 1867, His Holiness Pope Pius IX dispatched a special message to Fr. Bernard Petitjean of the Paris Foreign Mission Society, who at the time was involved in missionary work in the city of Nagasaki. The purpose of His Holiness was to personally bless an event, which he exuberantly described as a “Miracle of the Orient.””
  25. ^ Laudate | アレオパゴスの祈り”. www.pauline.or.jp. 2024年11月24日閲覧。
  26. ^ 3月17日 日本の信徒発見の聖母記念ミサ | カトリック長崎大司教区”. www.nagasaki.catholic.jp (2016年3月19日). 2024年11月24日閲覧。
  27. ^ 拝観のご案内大浦天主堂ホームページ、2024年9月6日閲覧

関連項目

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