頭ヶ島天主堂
名称: | 頭ヶ島天主堂 |
ふりがな: | かしらがじまてんしゅどう |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 2404 |
種別1: | 近代/宗教 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 2001.11.14(平成13.11.14) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 長崎県 |
都道府県: | 長崎県南松浦郡新上五島町友住郷638-1 |
所有者名: | |
指定基準: | (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 単廊式教会堂、石造、建築面積131.6m2、正面塔屋付、桟瓦葺 |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正8(1919) |
解説文: | 頭ヶ島天主堂は,五島列島中通島の東方にある長径2km余の小島にある。 鉄川与助の設計,施工により,明治43年に着工,大正8年に竣工した。小規模ながら類例の少ない石造で,内外とも斬新な意匠をもち,長崎を中心に数多く残る離島,辺地の教会堂のなかでも傑出した遺構として,重要文化財に指定されている。 境内地は,島北の入り江に面した小集落の奥,緩やかに傾斜する山裾の一段高い位置にひらかれている。天主堂の周辺には,石造の門柱一対をはじめとして,同時期の石垣,石段などもよく残り,いずれも丁寧な仕事になる。 これらの工作物及び地勢を巧みに活かして造成された境内地は,周辺環境と一体となって良好な風致を形成しており,天主堂とともに保存を図る。 |
近代(宗教): | 興福寺本堂 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂 青砂ヶ浦天主堂 頭ヶ島天主堂 鶴岡カトリック教会天主堂 黒島天主堂 |
近代(官公庁舎): | 京都府庁旧本館 |
頭ヶ島天主堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/30 15:10 UTC 版)
頭ヶ島天主堂 | |
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カトリック頭ヶ島教会 | |
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所在地 | 長崎県南松浦郡新上五島町友住郷頭ヶ島638 |
国 | ![]() |
教派 | カトリック教会 |
歴史 | |
守護聖人 | 聖ヨセフ |
管轄 | |
教区 | カトリック長崎大司教区 |
教会管区 | カトリック長崎教会管区 |
聖職者 | |
主教 (司教) |
ペトロ中村倫明 |
主任司祭 | ペトロ中濱敬司 |
頭ヶ島天主堂(かしらがしまてんしゅどう)は、長崎県南松浦郡新上五島町の頭ヶ島にあるキリスト教(カトリック教会)の聖堂である。2001年(平成13年)に国の重要文化財に指定されており[1][2]、ユネスコの世界遺産(文化遺産)候補で2018年に登録審査が決まり、同年6月30日に登録が決まった[3][4]「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する「頭ヶ島の集落」に包括される教会である[5]。
教会の保護者
- 聖ヨゼフ
沿革
- 1869年(明治2年)頃 - キリシタン迫害を逃れ、中通島の鯛ノ浦の潜伏キリシタンが無人島だった頭ヶ島に移住
- 1887年(明治20年) - カトリックに復帰した信徒たちにより初代の聖堂建設
- 1919年(大正8年) - 1910年(明治43年)の着工から10年を費やし、現聖堂が完成[6]
- 2001年(平成13年)11月14日 - 国の重要文化財に指定[1][2]
- 2003年(平成15年)12月25日 - 境内地が重要文化財に追加指定される
- 2016年(平成26年) - 世界遺産としては「禁教期に焦点を絞るべき」との指摘をうけ推薦が一旦取り下げられ、対応が進められた結果再推薦は決まったが禁教期を象徴する「頭ヶ島の集落」に包括する扱いとなった
- 2018年(平成30年) - 世界遺産登録が決定[3][4]
建物の概要
頭ヶ島教会は五島列島最東端で幕末までは無人島であった頭ヶ島に建てられた小規模な教会ではあるが、西日本唯一の、また日本全国でも珍しい石造の教会堂であり、その意匠も優れている。鉄川与助の設計・施工、大崎八重神父の指導により、島内の石を切り出し、積み上げて建設された。内観の造形は、船底天井と五島列島の椿を模した花装飾のレリーフと、青を基調とした華やかな雰囲気が美しい。教会堂のほかに司祭館と門柱が重要文化財の附(つけたり)指定となっており、土地(境内地)も2003年に重要文化財に追加指定されている。教会堂本体とともに付属建物・石垣・石段などが周囲の環境とともに良好に保存されている点が、文化財として高く評価されたものである。
主任司祭は常駐しておらず、カトリック鯛ノ浦教会の巡回教会となっている。
所在地
〒 857-4102 長崎県南松浦郡新上五島町友住郷638
アクセス
- 有川港(中通島)から車で約20分
- 西肥バス有川港ターミナルから頭ヶ島天主堂行き終点下車(1日3本のみ運行)
- 2018年4月1日以降、入場者数及び車輌数を制限するために、繁忙期は天主堂がある白浜集落を見学する場合は上五島空港でシャトルバスに乗り換えなければならなかったが[7]、インフォメーションセンターが、天主堂近くに移設となったためシャトルバスは廃止され、現在はそのような乗り換えはない。
脚注
- ^ a b 頭ヶ島天主堂 文化遺産データベース 文化庁
- ^ a b 頭ヶ島天主堂 長崎県の文化財 長崎県学芸文化課
- ^ a b “長崎、天草の「潜伏キリシタン」が世界文化遺産に決定 22件目”. 産経新聞. (2018年6月30日) 2018年6月30日閲覧。
- ^ a b “長崎と天草地方の「潜伏キリシタン」世界遺産に”. 読売新聞. (2018年6月30日) 2018年6月30日閲覧。
- ^ 頭ヶ島天主堂 長崎の教会群とキリスト教関連遺産 長崎県世界遺産登録推進室
- ^ “Comprehensive Preservation and Management Plan - Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region” (pdf). Unesco World Heritage Centre. p. 78. 2021年11月20日閲覧。
- ^ “「頭ヶ島パーク&ライドについて」 - 長崎県五島列島新上五島町公式サイト より” (日本語). 長崎県 五島列島 新上五島町公式サイト 2018年10月15日閲覧。
参考文献
- 「新指定の文化財」『月刊文化財』460号、第一法規、2002
- 「新指定の文化財」『月刊文化財』483号、第一法規、2003
- 『長崎遊学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド』(長崎文献社、2005年) ISBN 9784888510912
関連項目
外部リンク
- 長崎の教会群とキリスト教関連遺産
- 頭ヶ島天主堂 長崎旅ネット 長崎県観光連盟
座標: 北緯33度00分44.65秒 東経129度10分58.28秒 / 北緯33.0124028度 東経129.1828556度
頭ヶ島天主堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 05:28 UTC 版)
頭ヶ島の教会。上五島地区の指導者・ドミンゴ森松次郎の屋敷跡に最初の聖堂が建てられた。弾圧から逃れて外海や黒島を流転したキリシタンは、明治6年の禁教の高札撤去後に帰郷して荒廃した村の復興に努めた。
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